中帰連の「戦争体験」

 「中帰連」の多くの皆さんは山東省の59師団と、山西省の39師団の他、37、117師団、独立混成第3旅団の人たちです。彼らの多くは「奪い尽くし、焼き尽くし、殺し尽くし」の所謂「三光作戦」(中国側の表現)のみならず、強制連行、生体解剖、拷問、強姦・・・・・など多くの加害・虐殺体験をしてきました。

 しかし、これは「中帰連」の人たちが特別ではく、同じ地域や部隊の人たちはほぼ同じような体験をされている筈です。彼らの多くの人が初年兵教育の中で、中国人を杭に縛り付け「的」の代わりに突き殺させた『実的刺突』の体験をしたり、させたりを証言しています。

 憲兵だった山形の土屋良雄さんは軍隊生活15年の間に1917人を検挙、拷問、投獄し、直接間接に328人を殺害したと証言(「ある憲兵の記録」他)し、多くの人は「黙っているだけ」と言っています。また、山西省の潞安陸軍病院の軍医だった東京の湯浅謙さんは、自ら10人の中国人生体解剖に携わったことを証言し、生体解は731部隊だけではなく中国各地で中国人を動物のように扱っていたと証言しています。(「消せない記憶」他)

 また、2000年に東京で開かれた所謂従軍慰安婦問題を裁いた『女性国際戦犯法廷』で強姦の証言(当時の安倍晋三・官房副長官の圧力でNHKがカットし放送)をした金子安次さんは、強姦させないと怒った上官の命令で上官と一緒に婦人の足を持ち井戸に投げ込み、その後、苦しまないように手榴弾を投げ込んだ証言をしています。その直後に婦人の幼子は母を追って自ら井戸に飛び込んだことを証言しています。(「金子さんの戦争」他)
 また、東京の小山一郎さんは強制連行に参加したのみならず、命乞いをする老婆を殺害し、部落に火を着けて回ったと証言しています。(「鬼から人間へ」他)

 これらはほんの一部であり、多くの皆さんが戦争で戦ったのみならず、多くの市民や婦女子を虐殺した体験をもっています。中国は戦闘でではなく多くの民間人を虐殺したことを指摘しています。しかし、周恩来は敗戦後の日本の負担が大変だと「賠償請求権」を放棄したのみならず、1956年の「当別軍事法廷」では判決文を4回も書き直させ、「復讐や制裁では憎しみの連鎖は切れない」と、一人の死刑も無期も認めず、殆どの戦犯が「起訴免除」とされ帰国を許されました。1069名の戦犯のうち起訴されたのは政府、軍高官の45名だけで、しかも刑期にシベリアの5年と管理所の6年を刑期に参入さ殆どが刑期満了前に帰国を許されました。
 記念館にはこの戦犯たちの自費出版を含めた本や、当時、管理所で書いた直筆の「手記」原本を保管し、記録映像資料も視聴することも出来ます。

 

 日本はこれら「加害・虐殺」の歴史と事実を隠し否定しようとしていますが、過去の歴史を知り教訓とする必要があると思います。それは自虐史ではなく「事実」なのです。中国には『前之事忘 後之事師』という諺があります。つまり『過去を忘れず、後の教訓とする』という事です。

 私たちは相互理解と平和のために運動を続けています。 

 

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