◆【今年も千葉で「観藤会」開催】

 「中帰連・千葉支部」が1997年に匝瑳市(旧八日市場市)の妙福寺境内に『中帰連碑』を建立しました。境内の藤の花が咲く頃に「受け継ぐ会・千葉支部」が、碑の前でが毎年『観藤会』を開いてきました。

 今年は千葉支部に代わり「受け継ぐ会・本部」が主催し、5月5日に開かれ「受け継ぐ会」の姫田光義代表らが10人余りが参加し、碑の建立に尽力された元中帰連の篠塚良雄さんのお墓にもお参りさせて頂きました。

 

 当初、碑の目的は物故者の慰霊でしたが、単なる平和を願う文言ではなく中国の犠牲になった殉難烈士の皆さんの慰霊も含むべきとの意見を入れ、最終的にこの碑文に決まりました。建立場所も種々検討しましたが碑文の内容を知るといずれからも断られ、最終的に篠塚さんが檀家総代をされいたこの妙福寺が受け入れ建立する事が出来ました。「設立趣意書」は下記のPDFをご覧下さい。

「設立趣意書」.pdf
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◆【「共謀罪」に反対する声明】

 

私たちは共謀罪に反対する - NPO中帰連平和記念館

 

  安倍政権成立以降、特定秘密保護法の制定、集団的自衛権容認とそれを実現するための安保関連法制の改訂と新法制定が立て続けに行われた。権力の活動を市民の目から隠蔽しつつ、自衛隊をアメリカの傭兵として自在に利用させる体制が構築された。

 

 そしていまや政府は、いわゆる共謀罪(「テロ等準備罪」を創設する組織犯罪処罰法改正案)を閣議決定の上、国会に提出し、本年4月14日衆議院法務委員会において審議入りした。

 

 安倍政権は国連越境組織犯罪防止条約批准に伴う関連の国内法制整備の一環として、共謀罪の制定が必要だとしているがそれは全くの偽りである。国連の本条約を批准した各国は、各国は国内法制との関連で体制を整備しており、日本でも現行法制で対応可能である。

 

 当初安倍政権は、対象犯罪数を当初676としていたが、それを277に減らすなどして限定を加えたとしているが、これは共謀罪の本質的危険性を変えるものではない。

 

 そもそも我が国の法体系は、既遂行為を処罰することを原則としており、「未遂」「予備」「共謀」は例外事項とされてきた。例えば「予備」に該当するものは、内乱陰謀罪や私戦陰謀罪などきわめて特異な場合に限られている。それをきわめて広範な範囲に拡大することは、市民の活動を国家・治安機関の監視下に置くに等しく、自由で民主的な社会という憲法が示す我国のあり方と両立し得ないものである。

 

 今回の共謀罪制定は、特定秘密保護法による国家権力の活動の隠蔽と相まって、市民による権力に対する監視を不可能にし、市民がただ権力に従うだけの独裁・警察国家に道を開くものであり、決して受け入れることは出来ない。

 

 本記念館を設立した中国帰還者連絡会に集った人々のなかには、戦前「満州国」や中国占領地域で、中国の人々に植民地版治安維持法などを一方的かつ恣意的に適用し、多くの人々を獄に送り、殺戮に関与した人もいた。我々が彼らの体験を後世に残すため記念館を設立したのは、同じ過ちを二度と繰り返さず、平和を実現するためである。共謀罪制定の試みは、このような記念館の設立理念にも反するものであるゆえ、我々は治安維持法体制を想起させるような今回の共謀罪制定に強く反対するものである。

 

2017年4月23

 NPO法人中帰連平和記念館 理事会 (理事長 松村高夫)

 中帰連に学ぶ会参加者一同

 

この「声明」は安倍首相、衆参両院議長、各政党、メディア等に送付しました。

◆【映画『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』】

日本初の女性報道写真家・笹本恒子さんと、フリージャーナリスト・むのたけじさんの記録映像です。むのさんの子供の頃や記者時代、そして週刊新聞『たいまつ』の頃の映像も出てきます。

 むのさんは「記念館」の名誉顧問をお引き受け下さっていましたが、この映画の取材後に逝去され、試写会には参加出来ず最期の映像になりました。

 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 日時:6月3日(土)

(ほか、全国順次公開)

場所:東京都写真美術館ホール

問い合わせ:03-5784-3120

       staff@magichour.co.jp

◆【諭吉神話の嘘】

 安川寿之輔先生(名古屋大学名誉教授)は諭吉神話を追求し、今「1万円札から福澤諭吉を降ろそう」の運動を展開中です。

◆【新刊紹介】

著者:大澤武司 発行:中公新書
発売:2016.11.25 定価:860円+税

 「中国帰還者連絡会」(以下、「中帰連」)や中国の「戦犯裁判」を知らない人たちに読んで欲しい本です。
 中国政府に「戦犯」として囚われ撫順と太原の「戦犯管理所」に収容された彼らが、どんな待遇を受け如何なる経過で「鬼から人間」に戻ることができたのか。

 そして、帰国後は「赤や大陸帰り」などとレッテルを貼られ公安に付きまとわれるなかで、彼は帰国翌年1957年に「中帰連」を立ち上げました。アジア各地のB、C級戦犯971人が処刑されました。その中で被害の一番大きかった犠牲者1000万人以上(しかも、市民の犠牲の方が多かった)中国では1062人戦犯のうち、起訴されたのは僅か45人、その45人であった。しかも、周恩来はその45人に一人の無期も死刑も認めず、更に、シベリアの5年と管理所の6年の計11年が刑期に参入されたことをどれだけの日本人が知っていることでしょうか。多くの人にこの過去の歴史に事実を知って欲しいと思います。「信頼関係」を築くことで友好平和を願った周恩来が投げたボールを日本はシッカリ受けとめなかった。

◆【季刊「中帰連」61号 記念館特集】

 この季刊『中帰連』は中帰連の皆さんの証言が右翼からの「洗脳・嘘」との批判への反論として1987年に発刊された季刊誌です。高齢のため中帰連が2002年に解散した後も、後継団体の「中帰連発行所」が年3回発行を継続しています。

 戦争と言えば誰もが「被害・悲劇」を訴えるが原因と責任を考えることは少なく、ましてやや加害を語ることは殆どない。

 この中帰連の皆さんは「戦犯」として中国の撫順と太原「戦犯管理所」に6年間収容され人道的扱いを受け、自ら犯した加害・虐殺などを告白し「鬼から人間に」戻って帰国を許された。1062人の戦犯のうち起訴されのは僅か45人、周恩来は「復讐や制裁では憎しみの連鎖は切れない」と判決文を4回も書き直しを命じ45人に一人の死刑も無期も認めなかった。更に、シベリア抑留の5年と管理所の6年の計11年が刑期に参入され殆ど刑期満期前に帰国を許された。因みにアジア各地でのB、C級戦犯裁判では971人が処刑されている。

 この季刊『中帰連』61号は、その中帰連や戦争関連の「資料・映像」などを集積し、必要な人に提供している私たちの『NPO中帰連平和記念館』の特集号です。

(申込は記念館へ npo-kinenkan@nifty.com)送料込¥500

◆【東京、埼玉から見学者】

 1月18日(水)に都内北区の皆さんと埼玉小川町みんさんと、個人参加の皆さん含め26人もの皆さんが見学に来館しました。北区の皆さんはマイクロバスで来館しました。この皆さんはこれから「訪中予定」があり、過日、来館し残留孤児の記録を記した『この生あるは』を記念館にも寄贈下さった中島幼八さんの推薦で来館しました。

  当日は芹沢事務局長が中帰連や記念館の経過などを話した後、『戦犯たちの告白』を視て頂きました。その後、感想など活発な意見交換もありました。遠くは栃木や神奈川からの参加者もおり遠方からの来館に感謝でした。(2017.1)

【「記念館設立10周年集会」 開催】

 記念館は今年2016年11月で設立10年を迎え11月13日に地元川越の「ウェスタ川越」で『NPO・中帰連平和記念館 10周年集会』を開催(共演:「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」、『季刊 中帰連』)しました。当日は会場に準備した160席では足りず、予備の椅子まで使い会場は200人余りの参加者で埋まりました。                                 

 参加者は首都圏の他、北は北海道や山形、南は沖縄や熊本などからもご参加下さいました。

 またシドニー大学のクレアモント康子博士はこの集会参加のため、ご主人同伴でオーストラリアから駆け付けて下さり会員登録もして下さいました。

 集会は最初に芹沢事務局長の「記念館10年の歩み」の報告後、元中帰連・上坪鉄一氏のご遺族・伊東秀子さん(元衆議院議員・弁護士)の「戦犯だった父の遺言」と題して講演をして頂きました。憲兵隊長だった父が当時マルタ(丸太)と称した中国人22人を731部隊に送った事など、この夏に勇気を出して『父の遺言』(花伝社)を書いた苦しみなどを語り、多くの人が理解してくれ「書いて良かった」と語りました。

 続いて記念館の「名誉顧問」をお引き受け下さっていた、むのたけじさんのご子息・武野大策さん(医学博士)に「101歳のジャーナリスト・父むのたけじからのメッセージ」と題し、亡きむのさんが若者に期待していた事など講演頂きました。

 休憩を挟み松村理事長の司会で「負の連鎖を絶ち切るために」のシンポジウムに移り、パネラーには大西広さん(慶応大学教授)、遠藤美幸さん(神田外語大学非常勤講師)、張宏波さん(明治学院大学教授)、今井雅巳さん(当記念館副理事長・高校教師)、細川清和さん(当記念館理事・建築家)、石田隆至さん(当記念館理事・大連理工大学教員)の皆さんが参加し、会場からも活発な発言もあり好評でした。最後に姫田光義理事の閉会の挨拶で幕を閉じました。

 記念館は一切の公費補助を受けておらず、この10年を迎えられたのは記念館をご理解ご支援下さった皆様のお陰であり、改めて心より御礼と感謝申し上げます。

 私たちはこれからも「中帰連」の皆さんの思いを裏切らないように、過去の「歴史の事実」をシッカリ後世に伝える努力を続けます。

 今後ともご支援の程宜しくお願い致します。

「参加者」のアンケート」集です。
10周年「アンケート」.pdf
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◆【中国・江蘇省TV局 来館・取材】

 今年11月13日の『記念館10周年集会』の取材もした「江蘇省TV局」が、12月9日に記念館の取材に、通訳を含めカメラマンなど5人で来館しました。

 当日は松村高夫理事長のインタビューや記念館館内や、資料などの取材・撮影をしました。武野大策さんのインタビューもされました。当日は芹沢事務局長と司書の宮本直子さんも立ち会いました。

 左から、取材を受ける(松村理事長、武野大策さん、ディレクター、通訳)

◆【「アウシュビッツ平和博物館」で、全国交流会】

 毎年開催している『平和のための博物館・市民ネットワーク』 の全国交流会が今年は11月29、30日の両日、福島県白河市の「アウシュビッツ平和博物館」(会場は隣の「原発災害情報センター」)で開催されました。参加者は遠く沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」や、長崎から「ナガサキピースミュージアム」と,地元アウシュビッツの関係者を含め70名が参加、「中帰連平和記念館」からも理事ら7人が参加しました。

 初日の冒頭に放射能測定を継続している「福島プロジェクト」の安斎郁郎さん(立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長)が状況を報告、続いて国際平和博物館会議(INMP)の理事である山根和代さんさからは、INMPの会費の困窮状況や来年のベルファストの会議などについて報告がありました。

 会議の冒頭には君塚仁彦さん(東京学芸大学教授)の「<歴史を逆なでする>博物館のこれまでとこれから」と題した特別報告があり、続いて、栗山研究さん(法政大学非常勤講師)と萩原達也さん(東京大学大学院教育学研究科)からは「アウシュビッツ平和博物館の実践と軌跡」と題した二つ目の特別報告がありました。

 その後、休憩を兼ねて「アウシュビッツ平和博物館」の見学の後、一般報告(発表)に移り、「中帰連平和記念館」からは松村理事長が昨年と今年の中国での「日中関係シンポジウム」の報告を、芹沢事務局長が中帰連と記念館の報告をしました。他に両日で8団体からの発表がありました。17時からは同会場で「懇親会」が開かれ、各地の参加者との親睦が図られました。

 二日目は前日の報告と交流の続きとなり、その後、次回開催地を京都の「立命館」と、会計報告が承認され正午過ぎ終了しました。

 

 尚、現地には「3・11」の原発放射能で汚染された畜産農家の自死した男性が「原発さえなければ 大工さんに保険金で返して下さい」などと書き遺したベニヤの原板が同所に大切に保管(非公開)され多くの参加者が思いを新たにしました。

◆【季刊「中帰連」60号発行】

 この季刊『中帰連』は中国での多くの加害・虐殺などの戦争体験者の証言が「ウソだ、洗脳だ」と右翼からの攻撃に抗して、「中国帰還者連絡会(中帰連)」(2002年に解散)が1997年に発刊した季刊誌(現在、年3回)である。

 中帰連とは戦後、中国に戦犯として撫順と太原戦犯管理所に収容された元兵士が人道的扱いを受け、6年の歳月を掛けて認罪し鬼から人間に戻った人たちが帰国翌年の1957年に立ち上げた組織である。その戦犯1062名のうち起訴されたのは政府・軍高官の僅か45名で一人の無期も死刑もなかった。それは周恩来が「復讐や制裁では憎しみの連鎖は切れない、20年後には解る」と死刑も無期もあった判決文を4回も書き直しを命じた結果であった。

 この60号の『戦犯裁判・戦犯帰国60周年』特集は、当時の撫順戦犯管理所での「座談会」の記録なども載り貴重な特集号であり、多くの人に読んで欲しい。

【希望者は「記念館」<npo-kinenkan@nifty.com>】へ \500

◆【大隈講堂で「むのたけじさんを偲ぶ会」】

 記念館の名誉顧問をお引き受け下さっていた『むのたけじさんを偲ぶ会』が、「早稲田大学大学院政治学科ジャーナリズムコース」と、「むのたけじさんを偲ぶ会」の共催で9月24日に大隈講堂で開かれ約700人が参加しました。当日は生憎の小雨のなか18時の開場前から、むのさんを惜しむ皆さんが会場前に駆けつけ整理券が配られ、記念館からも数名がお手伝いさせて戴きました。

 第一部の「シンポジウム」には「鎌田慧、桂敬一、佐高真、宮城修、落合恵子」の5氏が参加、第二部「むのさんと出会って」には各紙の記者など7名が、第三部の「むのさんの魂を継承する」では3名が発言し、当記念館の松村髙夫理事長(慶応大学名誉教授)もむのさんと記念館の関係と、むのさんへの思いを話しました。最後に武野大策さんがご遺族を代表し挨拶され21時前に終了しました。改めてむのさんへの感謝とご冥福をお祈り申しあげます。

◆【名誉顧問・むのたけじさん逝去】

 既に報道の通り記念館の「名誉顧問」をお引き受け下さっていたむのたけじさん(享年101歳)が8月21日早朝に逝去されました。

 むのさんは記念館で僅か30人ほどの「講演会」に2度も来館下さり、何時もご一緒の武野大策さん(次男・医学博士)と共に「会員登録」までして下さっていました。

 最初の来館時には『此処が中日問題を考える埼玉の中心になって欲しい』と、また、昨年6月に講演戴いた時には『死んでも会費を払うから運動を続けて欲しい』とまで評価下さり「名誉顧問」をお引き受け下さいました。

(「記念館」で2015.6.13)    むのさんは敗戦の8月15日に「本当の事を伝えられなかった」と朝日新聞を辞め、故郷・横手で週刊新聞『たいまつ』を発行し、集金や配達など夫人やお子さんたち家族で頑張りました。今年5月3日都内での『5・3憲法集会』が最後の公の場となりました。生前から「何もするな」とのむのさんらしい意思を尊重してお身内と数人の知人でお見送りし、49日が過ぎたら故郷・横手に埋葬されるとの事です。

 翌22日の『東京新聞』は一面トップで『101歳 反骨のジャーナリスト むのたけじさん死去』と大きく伝えました。むのさん、有難う御座いました!心からご冥福をお祈り申しあげます。

『東京新聞』.pdf
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◆【「戦争遺跡保存全国ネット」シンポに参加】

 今年で20回目を迎えた『戦争遺跡保存全国ネットワーク』のシンポジウムが8月20~22に第1回が開かれた長野・松代の「松代文化ホール」などで開催され約150人が参加しました。

(「写真」は第三分科会)

 初日20日午後からの全体集会では主催者挨拶の後、朗読劇『女たちのマツシロ2016』(NPO松代大本営平和祈念館)や、地元童話作家の和田登さんの記念講演の他、基調報告、地域報告がありました。その後、「会員総会」で決算が承認され、次回の第21回大会を「高知・土佐」の開催を承認視されました。

 翌21日は「保存運動の現状と課題」、「調査の方法と整備技術」、「平和博物館と次世代への継承」の3つの分科会に分かれて開かれ、芹沢事務局長が第三分会で『NPO中帰連平和記念館近況報告』と題して、中帰連と記念館の経緯と近況をプロジェクターで写真を提示しながら約40分発表しました。各分科会からはそれぞれ6人の発表ありました。

 21日の「閉会集会」では各分科会から報告があり。大会アピールと熊本地震での文化財修復保存を求める「特別決議」が採択されました。最終日23日は「幻の大本営」の見学がありました。地元「松本大本営の保存をすすめる会」の皆様に大変お世話になり感謝申しあげます。

◆【安川寿之輔さん記念館で講演】

 記念館では福沢諭吉の研究者である安川寿之輔さん(名古屋大学名誉教授)お招きし5月22日に講演会を開きました。安川さんは81歳の高齢にも関わらず3時間近く立ったまま講演されました。『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と戦後民主主義の先駆者として誤って福沢は評価されてきたと真っ向から批判している学者です。

 『人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』の言葉は『・・・と云えり』と伝聞で書いてあることを、丸山真男氏や家永三郎氏(その後、自己批判)を始め殆どの学者たちが無視していることを指摘しました。

 福沢の『一身独立して一国独立する』の解釈についてもほぼ100%の学者が誤読し、『国のために財を失うのみならず、一命を抛ち投ちて惜しむに足ら』ないと言う国家主義的な殉国精神であり、福澤は『教育勅語』にも積極的に賛同した。誤読、美化した丸山真男らの責任は余りにも重いと指摘しました。「独立自尊」の言葉も含めて福沢自身の本来の意味・主張・思想とは無関係に、丸山真男らにより福沢は美化された。

 福沢は先行学者らにより「偉大な民主主義の先駆者」と不当に評価され「福沢諭吉神話」が定着してしまった。福沢は「富国強兵」ではなく「強兵富国」のアジア侵略路線を先導し、近代日本人のアジア蔑視の「帝国主義」意識形成を先導した保守主義者であった。その福澤を支持するのが安倍晋三首相、石原慎太郎、平沼赳夫らである。詳しく下記の本を参照下さい。

「福沢諭吉の教育論と女性論」「福沢諭吉の戦争論と天皇制論」

「福沢諭吉と丸山真男」「福沢諭吉のアジア認識」 (出版社は何れも「高文研」)

◆【第15回中帰連に学ぶ会 「責任の歴史学とは何か」】

 記念館で定期的に開いている『中帰連に学ぶ会』が4月24日松村高夫理事長を講師に開催しました。(以下、要旨)

 フクシマ3・11により人類は「緩慢な大量虐殺」の時代に本格的に入った。と同時に経済学、歴史学などの社会科学、物理学などの自然科学もその有効性を失い諸々の学問研究は崩壊したと捉えている。
 理性を駆使しての近代科学の営みが「一種の新しい野蛮状態」を何故生み出していくのか。
 経済学において、最初に学ぶ需要曲線と供給曲線の交点である「均衡」概念に問題が潜んでいる。そして歴史学においても同様で敗者は痕跡をとどめることなく消えてしまう。
 歴史学におけるE・HカーとI・バーリンの論争において、カーは歴史を貫く一般法則を明らかにするのが科学としての歴史であるとしたが、バーリンは、生じた事を辿っていく事後的後述は勝者の歴史になると批判。またカーの法則的把握は個々の人間の主体的行動も責任を問わないことになるとも。この論争は現在に至るも未だ決着がついていない。 少しさかのぼると、近代合理主義の始祖の一人デカルトに対して、歴史的人間主義を唱えて敢然と挑戦たのがイタリアのヴィーコ。個人的理性感覚(我惟う)、故に我在り)を中心にしたのがデカルトだが、ヴィーコは共通感覚(コモンセンス)・ファンタジアを説く。
 デカルトに端を発する近代合理主義が理性を駆使し「知識」を拡大し、近代科学を発展させ、ついに原子力まで作り出した。この流れを根源的に批判しうるのは、ヴィーコから出発し、W・ブレイク→W・モリス→E・Pトムソンに行く、歴史的人間主義、「知恵」の流れである。
 誤解を恐れずに単純化して言えば、危機感を持たない専門の歴史家や経済学者たちの著作や講演などに対して、これ以上全面的に依存してはならない。代わって一人ひとりの市民が歴史家、経済学者にならなければ、再び欺されてしまう。

◆【中帰連ご遺族が出版記念会】

 1956年の中国「特別軍事法廷」に起訴され中帰連・45人の一人の上坪鉄一氏のご遺族・伊東秀子さん(元衆議院議員・弁護士)の「父の遺言~戦争は人間を『狂気』にする」が6月に発行されました。その出版記会が7月9日に都内本郷で開かれ、記念館からも松村理事長などが参加しました。当日は木谷明(元裁判官・弁護士)の発起人挨拶に始まり、松村理長が来賓の祝辞を述べ、伊東さんの挨拶に 続き姫田館長の乾杯で始まり100人を超える参加者でした。 (写真は松村理事長と伊東秀子さん)   

 中国からは元「撫順戦犯管理所」所長の侯桂花さんも駆けつけ、招待客は伊東さんの周りの有名・著名人ばかりではなく、小、中、高、大学の友人や子育て時代の友人、家裁や司法研修所時代の友人など伊東さんが大事にしてきた多くの友人も駆けつけ100人を超える参加者でした。

 多くの皆さんが挨拶の中でこの本の出版に感動し、その勇気に感謝していました。父の上坪氏が自らの手で「マルタ」22人を731部隊に送っている事を含め満州国、731部隊、三光作戦・・・などの「日中戦争」を書いています。推薦文(帯)を書いて下さった澤地久枝さんも「自分のお父様の事をよくここ まで書いた」と褒めて下さったとの裏話もあります。

(出版社:伝花社 発行:2016.6.22  定価:1600円+税)

【「撫順戦犯管理所」関係者一行が来館】

 「撫順戦犯管理所」の孫所長(館長)など6人が6月21~25日来日し、24日には記念館にも来館しまた。来館前には札幌の伊東秀子さん(「中帰連」上坪鉄一氏の遺族)や、都内の元中帰連事務局長の髙橋哲郎さんにも面会しました。

 記念館の「懇親会」では理事らが参加し交流を図りました。記念館側からは档案館などに所蔵されている「中帰連関連資料」の開示要請があり、今後よりいっそうの交流を深めることを確認しました。(写真は「記念館」での交流会

【北京の「中日関係シンポジウム」に参加】

 中国・北京京倫理飯店において2015年9月21,22日の2日間、中国友誼促進会が主催し、記念館も後援している『戦争の痛みを忘れず、心の中に永遠の平和―中日関係シンポジウム』開かれ、記念館関係者から松村髙夫理事長、石田隆至理事、小島俊郎理事、張宏波先生、荻野富士夫先生が参加発表しました。当日は元中帰連の小島隆男さんと上坪鉄一さんのご遺族や、岡崎嘉平さんのご遺族も参加され、日本人の参加は21名、中国側参加者28名でした。

 2日間に報告されたテーマは、大別すると下記の三点でした。

(1)安倍首相の戦後70年談話、安保関連法案の強行採決などの日本の右傾化する政治状況、その右傾化傾向が日中関係に及ぼす影響、さらに日中の民間友好団体の交流を通じた関係改善の展望について報告された。 

(2)日本の朝鮮、中国などの植民地支配のなかで起こった歴史事実に関する諸問題、即ち慰安婦問題、731部隊の人体実験、細菌戦による被害、 関東大震災時の中国人虐殺、重慶爆撃、花岡事件などが、日本における補償裁判と関連づけて報告された。

(3)中帰連について、中国の撫順戦犯管理所での寛大政策の実行、および、日本における中帰連の活動について報告があり、さらに中帰連会員の家族の視点から伊東秀子氏(父は元中帰連会員・上坪鉄一氏)と小島一博氏(父は元中帰連会員・小島隆男氏)が報告した。

 「発言要旨」は下記の『会報』14号(PDF)をご参照下さい。

                【松村理事長(左から3人目)、伊東弁護士(左)】

        (石田隆至・理事)         (兒嶋俊郎・理事)

『会報』14号.pdf
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【第13回「中帰連に学ぶ会」開催】

 「中帰連に学ぶ会」を11月1日に開催し、講師に建築家の細川清和さん(元大林組理事をお迎えしました。細川さんはむのたけじさんと懇意で、大林組で電通本社ビルなどの設計を担当し、退職後は日中を往き来し中国での建築設計や若手建築家の指導・育成などに尽力されています。

 当日は『今日の中国~定年後の10年間に見聞きした・・・事』と題して、中国のビル建設の現状を始め、中国の歴史まで幅広く詳しく解説下さいました。

 現状の中国について人口の都市移動、急激な都市建設、北京、天津、広州、深圳、香港、大連などの大都市の発展状況も紹介下さいました。

 また中国の民族問題、インターネット監視や言論統制の話もあり、格差や環境問題、水不足など今後の課題の説明もあり、経済関連では一帯一路政策やアフリカ進出、外交問題では中印国境紛争、南沙諸島問題など幅広い話をお聴きしました。

 教育・文化関連では中国人の日本留学は増えているが日本人の中国留学は増えていない状況や、24時間外国語TV放送が複数あるなど3時間余りに渡り盛りだくさんなお話しを伺いました。当日はむのだいさくさんのご子息である武野大策さん(医師・医学博士)も同行下さいました。

    (姫田光義館長、松村髙夫理事長、細川清和さん、武野大策さん)

「発言要旨」.pdf
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自伝「トンボの独り言」.pdf
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【平和ための博物館・市民ネットワーク全国交流会】

 東西で毎年交互に開催している『平和のための博物館・市民ネットワーク全国交流会』が、今年(14回)は10月24,25日の両日に名古屋の「ピースあいち」で開かれ両日とも50名ほどの参加者で下記の発表がありました。

 初日は中帰連平和記念館、山梨平和ミュージアム、ナガサキピースミュージアム、岐阜空襲を記録する会、「ピース大阪」元学芸員、女たちの戦争と平和資料館(wam)が発表し、翌日、丸木美術館、ひめゆり平和博物館、ピースあいち、立命館大学の10人の発表がありました。

 記念館からは松村理事長が9月21,22日に北京で開かれた『戦争の痛みを忘れず、心の中に永遠の平和―駐日関係シンピジウム』の報告と、芹沢事務局長が記念館の近況を報告をしました。また「満蒙開拓平和記念館」が時間がなく「資料」のみ提供下さいました。

 初日には下記二つの「特別報告」もありました。

①『戦跡保存・公開と平和資料館(仮称)建設決定までの経緯と現状』

 伊藤泰正さん(豊川海軍工廠跡地保存を進める会・豊川高校地歴科教諭)

②『鷹来工廠と学生たち―名城大学農学部にのこる戦争遺跡―』

  渋井泰正(名城大医学経済学部教授)

 2日目の冒頭には「立命館大学国際平和ミュージアム」の安斎育郎名誉館長の『戦後70年にあたっての平和博物館のありかたを考えると』題した特別講演がありました。初日発表後には「懇親会」で皆さんと交流を図りました。

来年の「交流会」は10月29,30日に白河市の『アウシュビッツ平和博物館』の開催 が決まりました。

『陶芸家 硲・海部ご夫妻来館』

「古九谷焼」陶芸家の硲紘一さんと、同じく陶芸家で奥様の海部公子さんが9月20日に来館されました。お二人は師匠の硲伊之助さんに師事を受け、硲さんは現在加賀市の『硲伊之助美術』の館長もされています。9月13日まで東京の富岡八幡で「作品点」を開催していましたが、むのたけじさんとwamの池田恵理子さんのご紹介で来館されました。

【戦争遺跡保存全国シンポ・千葉館山集会】参加

 毎年開催されている『戦争遺跡保存全国シンポジウム』が、今年は千葉県館山市の「千葉県南総文化ホール」で9月4~6日に開かれ350人余りが参加しました。

 全体集会・基調講演の翌日は「保存の現状と課題、調査の方法と整備技術、平和博物館と次世代への継承」と、特別部会として「米占領軍の館山上陸と直接軍政/証言者のつどい」の4つの分科会に別れ全部で28件の発表がありました。記念館は芹沢事務局長が第3分科会の『平和博物館と次世代への継承』に参加し「中帰連と記念館」の運動と近況を報告しましました。同分科会では7団体の発表があり、沖縄など遠方からの参加や現地のボランティアスタッフの活躍に感謝の思いでした。

 尚、来年の「20周年シンポ」は8月20、21日に、第1回シンポが開かれた長野県・松代市で開催することが決まりました。(「写真」は第3分科会)

【「人民中国」9月号掲載】

 日本語の月刊誌『人民中国』が7月24日に取材に来館し、同誌9月号の『戦勝70周年特集』に「『鬼』から『人』になった戦犯たち」と題し2頁に渡り、中帰連や管理所、記念館のことが紹介されました。記念館で提供した管理所時代の写真や中帰連の皆さんが、当時、管理所内で書いた直筆の「手記原本」などの解説や写真なども掲載されました。

【掲載誌】

『社会評論』2015年春号.pdf
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「利根川文化研究」37号.pdf
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『人民中国』2015年9月号.pdf
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『ZOOM JAPAN』2014.5月号.pdf
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【「図書」紹介】

藤原恒男・著 藤原時子・編

B5版 70頁 発行 2015年7月 ¥600

 

 元山陰中帰連・藤原恒男さんの「回想録」です。藤原さんは島根県富山村(現、太田市富山)に生まれ、時子夫人は奉天(瀋陽)で生まれ12歳で帰国、夫人は藤原さんと結婚しなかったら自身の中国での恵まれた生活が「侵略」であった事に気付かなかったいう。

 藤原さんは軍隊で「およそ人間のすることではない」殺、奪、焼の「三光作戦」の実行者・日本鬼子となり、 作戦・討伐の名の下に直接70人余りの生命を奪ったという。5年間のシベリア(カザフスタン・カラカンダ)抑留後、戦犯として引き渡された中国「撫順戦犯管理所」で人道的待遇を受け「鬼から人間に戻してくれた」と貴重な記録が記してある。

 帰国後は翌日から警察に監視され、結婚後は経済的にも大変な時期もあり転居9回、転職10回を体験された。一時、都会にも出たが後年故郷の三瓶山の麓に戻った。そして、古材を使い二人で2年掛けて素敵な山小屋風の家を造り、米以外は自給自足の生活をされた。地元ではステンドグラス作家としても知られ活躍、お子さんやお孫さんにも恵まれたが、藤原さんを交通事故(享年83歳)で亡くし、その7ヶ月前には最愛の一人娘・梨華さんも病で亡くす辛い体験を夫人はされている。貴重な多くの写真と共に藤原さんの83年の生涯を回想です。

 尚、藤原さんは「回想録」を大学ノートに7冊に纏めていましたが、ある編集者が『出版に向け編集してくれる』との事でその内の6冊を託しました。しかし、その後、彼から連絡がなく問い合わせると『諸事情があり、見つからなくなってしまった』と、キチントした説明もなく現在に至り『深い悲しみと腹立たしさ、そして無念さが残っています』とある。この「回想録」も仕方なく他の資料で纏め「涙無しには読めない」と夫人が記しています。多くの皆様に「戦争とは」を知って欲しいと思います。(この「回想録」は記念館でも扱っています。600円+送料)

編者:「平和のための信州・戦争展

       長野県連絡センター」

発行:川辺書店 発売:2015.8.6

定価:1389円+税

 

 1988年から「北信、東信、中信、南信」の4箇所で開催地を持ち回りで「平和のための信州・戦争展」を開催してきた団体が、94年にその「長野県連絡センター」を設置した。同センターがそれまでの県内在住者700人の証言の中から39人の証言を纏めたものである。大きく「外地での戦争体験」と「内地での戦争体験」の二つに分けえあり貴重な当時の写真もある。

 「外地の体験」では元731部隊員やトラック島の敗残兵、開拓民や残留婦人、シベリア抑留・・・など18人の体験・証言が、「内地の体験」には被爆体験、BC級戦犯、長野空襲、人間機雷・・・など21人の証言がある。聞き取り取材は過去のもので既に鬼籍に入られている方も多く貴重な記録である。

著者:青木茂  発行:2015.7.15      

発行:花伝社 / 発売‐共栄書房

定価:1700円+税


 今年は戦後70年。その「節目の年」を前に私が知りたいと思ったことは、日本の侵略で筆舌に尽くし難い惨禍を受けた中国が戦後70年をどのように迎えようとしているのかということだ。そのため、中国各地の町や村を訪ね、惨劇の現場を確認し、被害者や遺族から話を聞いた。こうして訪ね歩いた現場のうち、撫順と南京とソ満国境の三カ所を取り上げ、夫々の情況を本書で紹介している。

 本書で示した事実を基に中国の現状をまとめると、日本の侵略で受けた惨禍に対する被害者の心の傷は癒えておらず、強烈な怒りと不信感を日本に対し持っていると言えるだろう。しかし、中国が問題視しているのは安倍首相など極右・靖国派の「指導者」であり、日本全体を批判しているのではないということが重要だ。この情況を理解すれば、今、最悪の状態にある日中関係を改善する希望と確信を私たちは持つことができる。(著者)

【むのたけじさん「記念館」で講演】

 2015年6月13日記念館でむのたけじさんの「講演会」が開かれ100歳の年齢感じさせず1時間半余りもお話し下さいました。講演の最後に『死んでも会費を払うから、運動を続けて欲しい』とまで記念館を評価して下さいました。

 今どんな時代か。これからの社会情勢。何に気をつけてどう生きるか。中国関係・朝鮮関係が現状のようなことでは情けない。19から20世紀の歴史を振り返ってみると戦争の頻発である。なぜ戦争がおこるのか。今の戦争は経済の仕組みが行き詰まったとき、それを打開するための戦争が大半である。

 その中心にはアメリカ経済の行き詰まりがあり、失業が7%位になると悲鳴を上げ戦争が起こる。生産は自給自足、注文生産、そして資本主義の博打でもある「見込生産」だが、期待が外れると深刻な事態になるとなどと指摘した話から始まった。

 他に「原発、温暖化、核兵器、第3次世界大戦の危機、集団的自衛権、中国の先行き、訪中体験・・・」など多義に渡り机を叩いて現状に怒っていました。詳細は兒嶋俊郎理事(長岡大学教授)が纏めた下記「PDF」をクリック下さい。          

むのさん「講演要旨」.pdf
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【今年も「7・7集会」開催】

 1937年「盧溝橋」で数発の銃声音から始まった日中全面戦争勃発の『7月7日を忘れまい』と元軍人4団体が毎年『7・7集会』を開催してきた。

 しかし、高齢化のため後継団体などが受け継ぎ開催いている。「日中友好8・15の会、撫順の奇跡を受け継ぐ会、不戦兵士・市民の会、関東日中平和友好会」の4団体共催で、毎年各団体が担当し今年は「日中友好8・15の会」 の担当で会場に中国大使館をお借りして開かれた。

 当日は最初に4団体からの挨拶に続き程永華中国大使から、あの戦争は日本人民も被害者であり歴史の過去を鏡として学ばなくてならないと、ヴァイツゼッカー元独大統領の『過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる』や、中国の『前事不忘 後事之師』の言葉を紹介した。そして、この4団体の創始者の勇気に感謝すると述べた。(挨拶する程永華大使)

 その後、今年担当の「日中友好8・15の会」の沖松代表幹事の講演に移った。沖松氏は1925年生まれの90歳で、陸軍士官学校を出て最後は特攻隊に組み込まれ「怖いというより、寂しかった」という。特攻には特別食が出たが、何を食べても美味しくなくお金も地位も通用せず「平凡に暮らせる幸せ」を感じたという。8月15日に出撃予定だったがその直前に敗戦になり一命を取り留めた。その時は「助かった!死なずに済んだ」との思いであったという。戦後は「何故戦争したの?するの?」を長い間問い続けて来たという。(講演する沖松さん)

 最後に「中帰連」の撫順戦犯管理所での生活や裁判、帰国までを描いた50分ほどの合唱組曲『再生の大地』が「再生の大地合唱団」により披露された。歌の最後は『赦しの花』という曲で、ある戦犯が帰国時に看守から「もう武器を持って大陸に来ないで下さい。そして、日本へ帰ったら幸に暮らして下さい」と手渡された朝顔の種を生涯咲かせていた実話を歌にした曲で、そのハート型の葉の朝顔はいま全国で咲いている。

【記念館「声明」】

 記念館では6月13日に総会を開き安倍政権と現状の国会審議について下記2本の「声明」を全会一致で採択しました。

 この「声明」は安倍首相、衆参両院議長、報道機関、友好団体などに郵送し、また他の団体組織などにもメール添付などで伝えました。下記の「PDF」をご覧下さい。

 ①「『安保関連法案』に関する緊急声明」

安保関連法案に関する「緊急声明」.pdf
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 ②「戦後70年『安倍談話』に関する声明」

「戦後70年『 安倍談話』に関する声明」.pdf
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【松村理事長 「山梨平和ミュージアム」で講演】  

 平和博物館ネットにも参加している甲府の「山梨平和ミュージアム」が毎月企画している講演会で、4月19日松村理事長が『細菌戦部隊と加害の歴史を考える』と題して講演しました。松村理事長は「家永教科書訴訟」の証人もし、731部隊の研究者としても知られている事はご承知と思います。

 当日は地図や研究データーなどの資料も配付され「マルタ」と呼ばれた中国人が「特移扱い」の隠語で731部隊に送られ、細菌戦など生体実験・解剖にに使われ敗戦時までに3000人余りの全員が殺害されました。また、その責任者の石井四郎はその研究資料と引き替えに米に免責され、その資料の「フェルレポート」や「ヒルレポート」の解説などもありました。

 秘密だった元731部隊の軍医たちは戦後、医学界の中枢で暗躍し内藤良一などは日本ブラッドバンク(ミドリ十字)を設立し乾燥血漿で莫大な利益をあげ、その後、非加熱血液製剤でエイズを発症させた事も知られています。

 また戦後、住井すゑ、永井隆、平塚らいてふ、都築正男、高村光太郎などは反戦・人権派の知識人と評価されるが、戦時中に侵略戦争に加担支持したことを隠し反省していないと指摘し、本当に平和主義を通したのは大塚金之助くらいではと話しました。

 50人余りの参加者は講演後も、当時のことや現状の社会や政治についての質問など皆さん真剣な質疑応答が1時間近く続きました。

【札幌で「大河原孝一さんを偲ぶ会」】

 札幌市在住の元「中国帰還者連絡会(中帰連)」副会長だった大河原孝一さんが昨年(2014年)10月に亡くなり、「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」北海道支部が年明けの1月24日に、札幌市教教育文化会館の研修室で『大河原孝一さんを偲ぶ会』を開きました。参加者は同支部会員以外に岩手支部や東京支部、中帰連平和記念館などからも来札し24名が参加、「撫順戦犯管理所」

から追悼文も届き、支部が作成した『追悼文集』も配布されました。 

 最初に久能さんの司会で全員で黙祷し大原支部長の挨拶で始まりました。大河原さんと一番長くお付き合いがあった「旭川日中友好協会」会長の鳴海良司さんと、北大大学院准教授の小田博志さんが弔辞を捧げました。その後、小学校の授業で大河原さんが体験を話したビデオが上映され、休憩を鋏み二部は机をロの字型に配置し、皆さんが大河原さんの思い出を話し合いました。

 大河原さんは中帰連分裂後の「再統一」にも大きな努力をされ、私たちの記念館の土地と中古倉庫の

購入にも、全国の「中帰連」の仲間を訪ね歩きカンパを募り記念館購入に大きな尽力を下さいました。お陰で記念館は家賃も要らず、立ち退きを求められる事もありません。

 大河原さんはシベリア抑留時代から勉強され、撫順戦犯管理所に収容されてからも先頭にたち積極的に「認罪教育」を指導されました。元は国鉄の職員で山登りやスキーが趣味で全国の山を登り、絵やスケッチも遺されています。温泉も好きで奥ニセコの「新美温泉」が湯治の定宿でした。

 大河原さん有り難う御座いました!心からご冥福をお祈り申し上げます。

【 『日本鬼子』DVD化実現!】

「購入申し込」みは下記にお願いします。

加入者名:『中帰連』発行所

口座番号:00160-8-360352

税込:\5,184(カラー、160分)

FAX:020-4624-2381

E-mail:tyuukiren@yahoo.co.jp

(「ネット」などで市販もされています)

  

 松井稔監督の『日本鬼子』(リーベン・クイズ)(2000年公開)が長い間「DVD化」の要望がありまししたが、遂に実現し2014年11月7日発売になりました。

 1931年の満州事変から敗戦までの日中15 年戦争で、中国大陸にいた元皇軍兵士(中帰連)14人が自ら行ったあらゆる残虐行為を証言した衝撃のドキュメンタリー映画です。

 「焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くし」の三光作戦どころか、強姦、試し斬り、非道な拷問、井戸に落とした母子めがけて手瑠弾を投げ込み爆殺、七三一部隊実験、中国人を使つた人間地雷探知機、人肉食、細菌化学兵器‥あらゆる加虐行為を「実際の戦争を伝えたい」という痛切な思いで勇気を持って告白した実録です。   中国では『前事不忘 後事之師』(前の事を忘れず 後の教訓する)との諺があり、独ヴェイツゼッカー元大統領も敗戦40年の国会演説「荒れ野の40年」で『過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります』と全く同じ事を言っていますが、日本は過去の歴史を教訓として生かすことができていません。(11/18)   

【 「正義のためのハーグ国際研究所」が来館・取材】

 イギリスとフランスで日本を紹介している月刊誌のフリーペーパー『ZOOM JAPAN』の『中帰連平和記念館』の記事(下記をダウンローロ)を読んで、オランダの『正義のためのハーグ国際研究所』研究員のマリーニ・ラクサミナラヤンさんが11月9日来館しました。

   【松村理事長(左)とマリーニさん】

 当日は午前中に理事会がありましたが、午後からの勉強会『中帰連に学ぶ会』を傍聴し、その後、松村理事長が2時間ほどインタビューを受けました。また、前日の8日には東松山市の『原爆の図・丸木美術館』をご案内し、その後、同市内の南京大虐殺や従軍慰安婦の表記を削除した『埼玉県平和資料館』の現状を見て戴きました。(11/15)

『ZOOM JAPAN』.pdf
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◆『第8回 国際平和博物館会議』参加

 世界各地で3年に1度開かれている『平和ための博物館・国際会議』が9月19~22日の4日間、韓国・ノグンリで開催され松村髙夫理事長と芹沢昇雄事務局長が参加・発表して来ました。

 ノグンリは韓国のほぼ中央の地方に在り、朝鮮戦争中の1950年7月アメリカ軍が南部へ敗走する中で民間人約300人余りを虐殺した「ノグンリ虐殺事件」の現場(左写真)です。米第

25師団長ウィリアム・B・キーン少将による7月26日の「戦闘地域を移動するすべての民間人を敵とみなし発砲せよ」という命令に基づき行われたが、40年余り隠蔽され米は現在も「偶発的」と主張しています。

  現在、現地にノグンリ平和公園が整備されその公園内に『ノグンリ平和記念館』が建てられ、事件の説明や展示がされ、韓国人も多くの犠牲となった「ヒロシマ」の原爆被害も展示されている。また公園内の一角に『ノグンリ平和教育館』が建てられ今回の国際会議はここで開かれました。

(左「会議資料集」日本語版)

               【全体会議】

 会議には35ヶ国25団体170余名が参加、日本からも60人が参加し、全体会議や分科会で43人の報告・発表がありました。日本からは丸木美術館、wam(女たちの戦争と平和資料館)、立命館大学国際平和ミュージアム、無言館・・・どが発表し、記念館は松村髙夫理事長(慶応大学名誉教授)が英語で、芹沢事務局長が話に合わせた写真をプロジェクターで映写しながら発表しました。

 wamの池田恵理子さんの発表の中で慰安婦について不適切な通訳があり、会場から松村理事長が挙手をし、朝日が誤報を認め謝罪したのは『吉田清治氏の証言の間違いと、慰安婦と挺身隊の混同』の2点のみについて謝罪したのであり、従軍慰安婦(日本軍慰安婦)の存在を否定したものではないことをキチント伝え欲しいとの要望し訂正(修正)しました。

        【「ノグンリ平和記念館」前の記念撮影】

 参加者には軍隊を廃止したコスタリカからの報告もあり、分科会では日本国内からは16団体の発表がありました。19日の会議冒頭では同行した『悪魔の飽食合唱団』が合唱を披露し喝采を浴びました。他にもパネル展示などもありました。

 私たちは会議前の16日から韓国入りし『済州島4・3事件』や『光州5・18事件』の墓地や記念館にも寄り、会議最終日には国境の「イムジン河」も訪ねました。尚、採択された「平和宣言」と松村理事長の発言要旨はをクリックして下さい。

『発言要旨』.pdf
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『英文発表要旨』.pdf
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『平和宣言』.pdf
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◆「平和のための博物館ネット・全国交流会」参加

 関東、関西の交互で開かれている『平和のために博物館・市民ネットワーク全国交流会』が11月25,26日の両日、明治大学生田校舎で開かれ29名が参加し13人が発表しました。発言団体は東京大空襲戦災資情報料センター、ピース大阪、山梨平和ミュージアム、丸木美術館、ピース愛知、原発災害センター、歴史教育者協議会、立命館国際平和ミュージアム、WAM(女たちの戦争と平和資料館)、満蒙開拓平和記念館、ノーモアー・ヒバクシャ記憶遺産の継承センター、丸木美術館などが発表しました。

 途中休憩を挟んで大学内の『明治大学平和教育登戸研究所資料館』を渡辺賢二館長の案内で見学し、その後に講演もお聴きしました。この資料館は現在五つの展示室に分かれ展示されています。戦時中、ここは4科に分かれ軍・政府が偽札製造や風船爆弾、生物・毒物兵器の開発などの秘密研究所で、軍人以外の民間人も多く働いていました。

 「中帰連平和記念館」からは松村髙夫理事長が過日の「ノグンリ国際会議」の発言内容を主に報告した後、芹沢昇雄事務局長が中国中央TVや香港フェニックスTV、ZOOM JANAPの来館取材などの近況報告をしました。

 来年の開催は名古屋(ピースあいち)とし、その後は「東京―大阪―東京―名古屋―東京」との予定が了解されましした。また運営委員が一人が体調不良で辞任し、新たに4人の運営委員が承認されました。 

◆「戦争遺跡保存全国ネットワーク」参加

 明治大学生田キャンパスで2014年8月16~18日に、第18回『戦争遺跡保存全国ネットワーク』シンポジウムが開催され、全国から510人が参加し24団体から発表がありました。冒頭に姫田光義実家王維院長の挨拶があり、「記念講演」には『アジアの平和と日中関係のこれから』と題し丹羽宇一郎さん(前中国大使)の講演などもありました。「中帰連平和記念館」からは芹沢事務局長が記念館の近況を報告しました。(写真「全体集会」)

◆99歳のジャーナリスト・むのたけじさんが来館

 むのたけじさんが医師でご子息の武野大策さんと、むのさんの友人でいま中国でも大型ビル建設などで協力している建築家の細川清和さんの3人が6月11日に来館下さました。

お元気に話す「むのたけじさん」(99歳)
お元気に話す「むのたけじさん」(99歳)

 ご承知の通りむのさんは敗戦前日の8月14日夜に「責任をとる」とただ一人朝日新聞社を辞し、その後、故郷の横手に戻り1948年から30年間週刊新聞『たいまつ』の発行を続けながら、反戦や日中友好などを訴えて来ました。
 むのさんは25歳で戦地の最前線を取材しましたが、当時「本当の事は書けなかったが、ウソは書かなかった」と話しました。また、慰安婦の哀れな女性たちを目前で見ており、「軍用船には軍の許可無しに誰も乗れなかった」と証言しました。
  安倍政権や集団的自衛権を批判し、「この記念館の中の歴史の事実を踏まえ、埼玉の此処が日中問題を話し合う場になればと思う」と評価して下さいました。

(左から)武野さん、細川さん、むのさん、松村理事長
(左から)武野さん、細川さん、むのさん、松村理事長

 日本は戦争責任のケジメをつけておらず、人間は間違いを犯すからダメではなく、「過ちを率直に認め詫びる事はキチット詫び、反省することは反省してこそ人間は前に進める」と指摘し、その反省の違いをドイツを例に比較しました。
 何10年、何100年経とうとも詫びることは詫びその思いが1億国民のものと中国に伝わらなくてはダメであり、そうすれば本当に中国と仲良くなれると話しました。
 むのさんは満99歳とは到底思えない、何時ものあの大きな声で机を叩きながら怒っていました。今後も健康にご留意戴きご活躍とご指導をお願いしたいと思います。来館下さったむのさん親子と、建築家の細川さんも記念館の「会員」に入会下さいました。

「むのさん」発言要旨.pdf
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◆【中国中央TVが「記念館」を取材】

 中国中央TVが「中帰連」の取材で来日し、6月21、22日に記念館にも取材に来ました。監督、カメラマン、助手、通訳の4人に、記念館会員で明治学院大学教員の張宏波さんも通訳として両日ご協力下さいました。
 21日は記念館の取材、22日はさいたま市在住の元中帰連・稲葉績さんと、松村高夫理事長が所用のため事務局長の芹沢昇雄さんがインタビューを受けました。

「資料緒」を撮影するカメラマン
「資料緒」を撮影するカメラマン

 記念館の取材は建物の外観から、内部、資料などを撮影しました。稲葉さんは加害体験や管理所体験だけはなく、戦後も軍命で山西省に2600名の仲間と共に残留させられ、3年8ヶ月も八路軍と闘った経験があります。しかし、帰国すると上官の「命令はしていない」との証言が採用され、戦後の戦いで戦死した560名人と共に、逃亡兵扱いで恩給も出ませんでした。(『終わりなき闘い』稲葉績・著)
 芹沢さんのインタビューではなぜこの様な運動に参加するようになったか、そのキッカケや今までの人生、平和への思いや価値観、また、中国や中国人への要望や感じることなどの質問がありました。
 取材班は6月16日には北大で公演された『再生の大地』合唱団の取材や、この後、岐阜の元中帰連・西尾克巳さんの取材に向かいました。

【記念館基本情報】

   住所:〒350-1175 埼玉県川越市笠幡 1948-6

 最寄り駅:東武東上線「鶴ヶ島駅」西口(タクシー10分)

       JR川越線「笠幡駅」徒歩25分

 【開館日】「水、土、日」10:30~16:30(なるべく事前にご連絡下さい)

 TEL&FAX:049-236-4711

 E-mail:npo-kinenkan@nifty.com

 HP: http://npo-chuukiren.jimdo.com/

   郵便振込:(00150-6-315918)

 口座名義:「中帰連平和記念館」年会員:5000円 (カンパ歓迎)

 名誉顧問:むのたけじ(フリージャーナリスト)

 理事長:松村髙夫(慶応大学名誉教授)

 館長:姫田光義(中央大学名誉教授)

 地図:https://goo.gl/maps/6svNN7sVCpF2

【NPO・中帰連平和記念館】
【NPO・中帰連平和記念館】
【入り口(ロビー)】
【入り口(ロビー)】
【閲 覧 室】
【閲 覧 室】
【資 料 室】
【資 料 室】
【事 務 室】
【事 務 室】