◆【第22回「戦争遺跡保存全国シンポ」参加】

 当記念館も参加している『戦争遺跡保存博物館ネット』の全国交流会が8月18、19日の両日、愛知県豊川市の「豊川市勤労福祉会館」で開かれました。

 参加者は約150人で初日は伊藤厚史さんから「愛知県の戦争記念碑からみた戦争と国民」と題した記念講演や、「戦争遺跡保存全国ネットワーク」共同代表の出原恵三さんの基調報告がありました。 

 続いて、地域報告に移り最初に地元「豊川海軍工廠跡地保存を進める会」代表の伊藤泰正さんから、「豊川海軍工廠平和公園と保存運動」と題し、20数年余りの運動・努力が実り、今年7月に「豊川海軍工廠平和公園」が実現し開園した報告がありました。次に、その海軍工廠が戦争のため一時「天竜峡分工場」として疎開していた報告もありました。

 その後、総会が開かれ経過報告、会計報告、運動方針などが提案され承認しれました。組織は個人会員145人、38団体との報告でした。

 2日目は「保存運動の現状と課題、調査の方法と整備技術、平和博物館と次世代への継承」の三つの分科会に分かれ16件の報告がありました。当記念館は「平和博物館と次世代委への継承」の第三分科会で、芹沢事務局長が中帰連や記念館の近況などを報告しました。来年は熊本での開催が決まりました。

🔷【今年も「7・7集会】開催

 「記念講演」の武吉次朗さん
 「記念講演」の武吉次朗さん

 中国への侵略戦争のキッカケになった盧溝橋事件の「7月7日」を忘れないため、元軍人4団体が長い間毎年「7・7集会」を開いてきました。しかし、元軍人たちが鬼籍に入り市民にも呼びかけ名前の変更や後継団体などが受け継ぎ毎年開催しています。

 元軍人4団体とは「日中友好元軍人の会→日中友好8・15の会、中国帰国者友好会→関東日中平和友好会、不戦兵士の会→不戦兵士・市民の会、中国帰還者連絡会→撫順の奇蹟を受け継ぐ会」で、集会は4団体共済で今年は埼玉会館で中国大使館の後援を受け開会しました。

 集会は新宅久夫「関東日中平和友好会」会長の開会の辞に続き、来賓の中国大使館の郭燕公使の挨拶がありました。

 続いて、「関東日中平和友好会」顧問の武吉次朗さん自身が体験した、敗戦後の日本人流用体験を「日中関係を推進した国民の力」と題した記念講演がありました。「流用」とは戦後の中国復興のために、日本人の「医療、鉄道、航空、工業・・・・」などの技術者が協力を求められてもので、半強制的で当初は「帰国したい」一心でしたが、徐々に中国復興のために尽くし貢献した貴重な体験談でした。休憩挟んで二部では4団体の代表がその経緯や現状などを報告しました。

◆【今年も「観藤会」開催】

「中帰連・千葉支部」が匝瑳市の「妙福寺」境内に1997年に建立した「中帰連碑」に毎年5月5日に集い、中帰連の皆さんを偲び彼らの体験と思いを後世に伝える思いを新たする集いを開いて(「撫順の奇蹟を受け継ぐ会・NPO中帰連平和記念館」共催)います。

 今年は初めて中帰連・撫順戦犯管理所の体験を歌う『再生の大地合唱団』も参加し、「受け継ぐ会・東京支部」はバスを仕立て参加し、電車や車の参加者など40名余りが参加しました。

 この碑の建設に貢献された中帰連の篠塚良雄さん(元731少年隊員)の娘さんとお孫さんも参加下さり、境内の篠塚さんの墓前にもお参りさせて戴きました。

 「観藤会」の名の通り境内には池の上に立派な「藤棚」がありますが、今年は咲き終わっていました。

 碑の前で記念写真を撮り合唱団が『再生の大地』を歌い、その後、庫裏で自己紹介や渡部元千葉支部長の挨拶、篠塚さんのお嬢さんなどからもお話がありました。「受け継ぐ会」の姫田代表などからも説明などもあり、「中帰連碑」の碑文と、その設立趣意書(下記に添付)を朗読し来年の再会を誓いました。   

【碑文・設立趣意書】.pdf
PDFファイル 709.5 KB

◆故島津酉二良さん(元中帰連)の意志を受け継ぐ         印南・白浜・串本へのバスツアー

 

日時:6月30日(土)~7月1日(日)1泊2日

費用:34,500円~29,500円

締め切り:6月10日(日)

主催:「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」関西支部

申込:uketugu@kansai.email.ne.jp T&F:06-6324-2439

 

 元関東軍憲兵だった島津さんが過去の加害を懺悔し建立した『中国人戦争犠牲者之慰霊塔』も訪ねます。「三段壁、白浜、串本、潮岬」見学、水元雄三さん(元高校教師・元白浜町長)の講演・演劇もあります。詳細はPDF添付をご覧下さい。

◆【季刊「中帰連」61号 記念館特集】

 この季刊『中帰連』は中帰連の皆さんの証言が右翼からの「洗脳・嘘」との批判への反論として1987年に発刊された季刊誌です。高齢のため中帰連が2002年に解散した後も、後継団体の「中帰連発行所」が年3回発行を継続しています。

 戦争と言えば誰もが「被害・悲劇」を訴えるが原因と責任を考えることは少なく、ましてやや加害を語ることは殆どない。

 この中帰連の皆さんは「戦犯」として中国の撫順と太原「戦犯管理所」に6年間収容され人道的扱いを受け、自ら犯した加害・虐殺などを告白し「鬼から人間に」戻って帰国を許された。1062人の戦犯のうち起訴されのは僅か45人、周恩来は「復讐や制裁では憎しみの連鎖は切れない」と判決文を4回も書き直しを命じ45人に一人の死刑も無期も認めなかった。更に、シベリア抑留の5年と管理所の6年の計11年が刑期に参入され殆ど刑期満期前に帰国を許された。因みにアジア各地でのB、C級戦犯裁判では971人が処刑されている。

 この季刊『中帰連』61号は、その中帰連や戦争関連の「資料・映像」などを集積し、必要な人に提供している私たちの『NPO中帰連平和記念館』の特集号です。

(申込は記念館へ npo-kinenkan@nifty.com)送料込¥500

◆【中国・江蘇省TV局 来館・取材】

 今年11月13日の『記念館10周年集会』の取材もした「江蘇省TV局」が、12月9日に記念館の取材に、通訳を含めカメラマンなど5人で来館しました。

 当日は松村高夫理事長のインタビューや記念館館内や、資料などの取材・撮影をしました。武野大策さんのインタビューもされました。当日は芹沢事務局長と司書の宮本直子さんも立ち会いました。

 左から、取材を受ける(松村理事長、武野大策さん、ディレクター、通訳)

◆【「戦争遺跡保存全国ネット」シンポに参加】

 今年で20回目を迎えた『戦争遺跡保存全国ネットワーク』のシンポジウムが8月20~22に第1回が開かれた長野・松代の「松代文化ホール」などで開催され約150人が参加しました。

(「写真」は第三分科会)

 初日20日午後からの全体集会では主催者挨拶の後、朗読劇『女たちのマツシロ2016』(NPO松代大本営平和祈念館)や、地元童話作家の和田登さんの記念講演の他、基調報告、地域報告がありました。その後、「会員総会」で決算が承認され、次回の第21回大会を「高知・土佐」の開催を承認視されました。

 翌21日は「保存運動の現状と課題」、「調査の方法と整備技術」、「平和博物館と次世代への継承」の3つの分科会に分かれて開かれ、芹沢事務局長が第三分会で『NPO中帰連平和記念館近況報告』と題して、中帰連と記念館の経緯と近況をプロジェクターで写真を提示しながら約40分発表しました。各分科会からはそれぞれ6人の発表ありました。

 21日の「閉会集会」では各分科会から報告があり。大会アピールと熊本地震での文化財修復保存を求める「特別決議」が採択されました。最終日23日は「幻の大本営」の見学がありました。地元「松本大本営の保存をすすめる会」の皆様に大変お世話になり感謝申しあげます。

◆【安川寿之輔さん記念館で講演】

 記念館では福沢諭吉の研究者である安川寿之輔さん(名古屋大学名誉教授)お招きし5月22日に講演会を開きました。安川さんは81歳の高齢にも関わらず3時間近く立ったまま講演されました。『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と戦後民主主義の先駆者として誤って福沢は評価されてきたと真っ向から批判している学者です。

 『人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』の言葉は『・・・と云えり』と伝聞で書いてあることを、丸山真男氏や家永三郎氏(その後、自己批判)を始め殆どの学者たちが無視していることを指摘しました。

 福沢の『一身独立して一国独立する』の解釈についてもほぼ100%の学者が誤読し、『国のために財を失うのみならず、一命を抛ち投ちて惜しむに足ら』ないと言う国家主義的な殉国精神であり、福澤は『教育勅語』にも積極的に賛同した。誤読、美化した丸山真男らの責任は余りにも重いと指摘しました。「独立自尊」の言葉も含めて福沢自身の本来の意味・主張・思想とは無関係に、丸山真男らにより福沢は美化された。

 福沢は先行学者らにより「偉大な民主主義の先駆者」と不当に評価され「福沢諭吉神話」が定着してしまった。福沢は「富国強兵」ではなく「強兵富国」のアジア侵略路線を先導し、近代日本人のアジア蔑視の「帝国主義」意識形成を先導した保守主義者であった。その福澤を支持するのが安倍晋三首相、石原慎太郎、平沼赳夫らである。詳しく下記の本を参照下さい。

「福沢諭吉の教育論と女性論」「福沢諭吉の戦争論と天皇制論」

「福沢諭吉と丸山真男」「福沢諭吉のアジア認識」 (出版社は何れも「高文研」)

◆【第15回中帰連に学ぶ会 「責任の歴史学とは何か」】

 記念館で定期的に開いている『中帰連に学ぶ会』が4月24日松村高夫理事長を講師に開催しました。(以下、要旨)

 フクシマ3・11により人類は「緩慢な大量虐殺」の時代に本格的に入った。と同時に経済学、歴史学などの社会科学、物理学などの自然科学もその有効性を失い諸々の学問研究は崩壊したと捉えている。
 理性を駆使しての近代科学の営みが「一種の新しい野蛮状態」を何故生み出していくのか。
 経済学において、最初に学ぶ需要曲線と供給曲線の交点である「均衡」概念に問題が潜んでいる。そして歴史学においても同様で敗者は痕跡をとどめることなく消えてしまう。
 歴史学におけるE・HカーとI・バーリンの論争において、カーは歴史を貫く一般法則を明らかにするのが科学としての歴史であるとしたが、バーリンは、生じた事を辿っていく事後的後述は勝者の歴史になると批判。またカーの法則的把握は個々の人間の主体的行動も責任を問わないことになるとも。この論争は現在に至るも未だ決着がついていない。 少しさかのぼると、近代合理主義の始祖の一人デカルトに対して、歴史的人間主義を唱えて敢然と挑戦たのがイタリアのヴィーコ。個人的理性感覚(我惟う)、故に我在り)を中心にしたのがデカルトだが、ヴィーコは共通感覚(コモンセンス)・ファンタジアを説く。
 デカルトに端を発する近代合理主義が理性を駆使し「知識」を拡大し、近代科学を発展させ、ついに原子力まで作り出した。この流れを根源的に批判しうるのは、ヴィーコから出発し、W・ブレイク→W・モリス→E・Pトムソンに行く、歴史的人間主義、「知恵」の流れである。
 誤解を恐れずに単純化して言えば、危機感を持たない専門の歴史家や経済学者たちの著作や講演などに対して、これ以上全面的に依存してはならない。代わって一人ひとりの市民が歴史家、経済学者にならなければ、再び欺されてしまう。

◆【中帰連ご遺族が出版記念会】

 1956年の中国「特別軍事法廷」に起訴され中帰連・45人の一人の上坪鉄一氏のご遺族・伊東秀子さん(元衆議院議員・弁護士)の「父の遺言~戦争は人間を『狂気』にする」が6月に発行されました。その出版記会が7月9日に都内本郷で開かれ、記念館からも松村理事長などが参加しました。当日は木谷明(元裁判官・弁護士)の発起人挨拶に始まり、松村理長が来賓の祝辞を述べ、伊東さんの挨拶に 続き姫田館長の乾杯で始まり100人を超える参加者でした。 (写真は松村理事長と伊東秀子さん)   

 中国からは元「撫順戦犯管理所」所長の侯桂花さんも駆けつけ、招待客は伊東さんの周りの有名・著名人ばかりではなく、小、中、高、大学の友人や子育て時代の友人、家裁や司法研修所時代の友人など伊東さんが大事にしてきた多くの友人も駆けつけ100人を超える参加者でした。

 多くの皆さんが挨拶の中でこの本の出版に感動し、その勇気に感謝していました。父の上坪氏が自らの手で「マルタ」22人を731部隊に送っている事を含め満州国、731部隊、三光作戦・・・などの「日中戦争」を書いています。推薦文(帯)を書いて下さった澤地久枝さんも「自分のお父様の事をよくここ まで書いた」と褒めて下さったとの裏話もあります。

(出版社:伝花社 発行:2016.6.22  定価:1600円+税)

【「撫順戦犯管理所」関係者一行が来館】

 「撫順戦犯管理所」の孫所長(館長)など6人が6月21~25日来日し、24日には記念館にも来館しまた。来館前には札幌の伊東秀子さん(「中帰連」上坪鉄一氏の遺族)や、都内の元中帰連事務局長の髙橋哲郎さんにも面会しました。

 記念館の「懇親会」では理事らが参加し交流を図りました。記念館側からは档案館などに所蔵されている「中帰連関連資料」の開示要請があり、今後よりいっそうの交流を深めることを確認しました。(写真は「記念館」での交流会

【北京の「中日関係シンポジウム」に参加】

 中国・北京京倫理飯店において2015年9月21,22日の2日間、中国友誼促進会が主催し、記念館も後援している『戦争の痛みを忘れず、心の中に永遠の平和―中日関係シンポジウム』開かれ、記念館関係者から松村髙夫理事長、石田隆至理事、小島俊郎理事、張宏波先生、荻野富士夫先生が参加発表しました。当日は元中帰連の小島隆男さんと上坪鉄一さんのご遺族や、岡崎嘉平さんのご遺族も参加され、日本人の参加は21名、中国側参加者28名でした。

 2日間に報告されたテーマは、大別すると下記の三点でした。

(1)安倍首相の戦後70年談話、安保関連法案の強行採決などの日本の右傾化する政治状況、その右傾化傾向が日中関係に及ぼす影響、さらに日中の民間友好団体の交流を通じた関係改善の展望について報告された。 

(2)日本の朝鮮、中国などの植民地支配のなかで起こった歴史事実に関する諸問題、即ち慰安婦問題、731部隊の人体実験、細菌戦による被害、 関東大震災時の中国人虐殺、重慶爆撃、花岡事件などが、日本における補償裁判と関連づけて報告された。

(3)中帰連について、中国の撫順戦犯管理所での寛大政策の実行、および、日本における中帰連の活動について報告があり、さらに中帰連会員の家族の視点から伊東秀子氏(父は元中帰連会員・上坪鉄一氏)と小島一博氏(父は元中帰連会員・小島隆男氏)が報告した。

 「発言要旨」は下記の『会報』14号(PDF)をご参照下さい。

                【松村理事長(左から3人目)、伊東弁護士(左)】

        (石田隆至・理事)         (兒嶋俊郎・理事)

『会報』14号.pdf
PDFファイル 1.6 MB

【第13回「中帰連に学ぶ会」開催】

 「中帰連に学ぶ会」を11月1日に開催し、講師に建築家の細川清和さん(元大林組理事をお迎えしました。細川さんはむのたけじさんと懇意で、大林組で電通本社ビルなどの設計を担当し、退職後は日中を往き来し中国での建築設計や若手建築家の指導・育成などに尽力されています。

 当日は『今日の中国~定年後の10年間に見聞きした・・・事』と題して、中国のビル建設の現状を始め、中国の歴史まで幅広く詳しく解説下さいました。

 現状の中国について人口の都市移動、急激な都市建設、北京、天津、広州、深圳、香港、大連などの大都市の発展状況も紹介下さいました。

 また中国の民族問題、インターネット監視や言論統制の話もあり、格差や環境問題、水不足など今後の課題の説明もあり、経済関連では一帯一路政策やアフリカ進出、外交問題では中印国境紛争、南沙諸島問題など幅広い話をお聴きしました。

 教育・文化関連では中国人の日本留学は増えているが日本人の中国留学は増えていない状況や、24時間外国語TV放送が複数あるなど3時間余りに渡り盛りだくさんなお話しを伺いました。当日はむのだいさくさんのご子息である武野大策さん(医師・医学博士)も同行下さいました。

    (姫田光義館長、松村髙夫理事長、細川清和さん、武野大策さん)

「発言要旨」.pdf
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自伝「トンボの独り言」.pdf
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【平和ための博物館・市民ネットワーク全国交流会】

 東西で毎年交互に開催している『平和のための博物館・市民ネットワーク全国交流会』が、今年(14回)は10月24,25日の両日に名古屋の「ピースあいち」で開かれ両日とも50名ほどの参加者で下記の発表がありました。

 初日は中帰連平和記念館、山梨平和ミュージアム、ナガサキピースミュージアム、岐阜空襲を記録する会、「ピース大阪」元学芸員、女たちの戦争と平和資料館(wam)が発表し、翌日、丸木美術館、ひめゆり平和博物館、ピースあいち、立命館大学の10人の発表がありました。

 記念館からは松村理事長が9月21,22日に北京で開かれた『戦争の痛みを忘れず、心の中に永遠の平和―駐日関係シンピジウム』の報告と、芹沢事務局長が記念館の近況を報告をしました。また「満蒙開拓平和記念館」が時間がなく「資料」のみ提供下さいました。

 初日には下記二つの「特別報告」もありました。

①『戦跡保存・公開と平和資料館(仮称)建設決定までの経緯と現状』

 伊藤泰正さん(豊川海軍工廠跡地保存を進める会・豊川高校地歴科教諭)

②『鷹来工廠と学生たち―名城大学農学部にのこる戦争遺跡―』

  渋井泰正(名城大医学経済学部教授)

 2日目の冒頭には「立命館大学国際平和ミュージアム」の安斎育郎名誉館長の『戦後70年にあたっての平和博物館のありかたを考えると』題した特別講演がありました。初日発表後には「懇親会」で皆さんと交流を図りました。

来年の「交流会」は10月29,30日に白河市の『アウシュビッツ平和博物館』の開催 が決まりました。

『陶芸家 硲・海部ご夫妻来館』

「古九谷焼」陶芸家の硲紘一さんと、同じく陶芸家で奥様の海部公子さんが9月20日に来館されました。お二人は師匠の硲伊之助さんに師事を受け、硲さんは現在加賀市の『硲伊之助美術』の館長もされています。9月13日まで東京の富岡八幡で「作品点」を開催していましたが、むのたけじさんとwamの池田恵理子さんのご紹介で来館されました。

【戦争遺跡保存全国シンポ・千葉館山集会】参加

 毎年開催されている『戦争遺跡保存全国シンポジウム』が、今年は千葉県館山市の「千葉県南総文化ホール」で9月4~6日に開かれ350人余りが参加しました。

 全体集会・基調講演の翌日は「保存の現状と課題、調査の方法と整備技術、平和博物館と次世代への継承」と、特別部会として「米占領軍の館山上陸と直接軍政/証言者のつどい」の4つの分科会に別れ全部で28件の発表がありました。記念館は芹沢事務局長が第3分科会の『平和博物館と次世代への継承』に参加し「中帰連と記念館」の運動と近況を報告しましました。同分科会では7団体の発表があり、沖縄など遠方からの参加や現地のボランティアスタッフの活躍に感謝の思いでした。

 尚、来年の「20周年シンポ」は8月20、21日に、第1回シンポが開かれた長野県・松代市で開催することが決まりました。(「写真」は第3分科会)

【「人民中国」9月号掲載】

 日本語の月刊誌『人民中国』が7月24日に取材に来館し、同誌9月号の『戦勝70周年特集』に「『鬼』から『人』になった戦犯たち」と題し2頁に渡り、中帰連や管理所、記念館のことが紹介されました。記念館で提供した管理所時代の写真や中帰連の皆さんが、当時、管理所内で書いた直筆の「手記原本」などの解説や写真なども掲載されました。

【掲載誌】

『社会評論』2015年春号.pdf
PDFファイル 2.3 MB
「利根川文化研究」37号.pdf
PDFファイル 1.9 MB
『人民中国』2015年9月号.pdf
PDFファイル 2.2 MB
『ZOOM JAPAN』2014.5月号.pdf
PDFファイル 4.2 MB

【「図書」紹介】

藤原恒男・著 藤原時子・編

B5版 70頁 発行 2015年7月 ¥600

 

 元山陰中帰連・藤原恒男さんの「回想録」です。藤原さんは島根県富山村(現、太田市富山)に生まれ、時子夫人は奉天(瀋陽)で生まれ12歳で帰国、夫人は藤原さんと結婚しなかったら自身の中国での恵まれた生活が「侵略」であった事に気付かなかったいう。

 藤原さんは軍隊で「およそ人間のすることではない」殺、奪、焼の「三光作戦」の実行者・日本鬼子となり、 作戦・討伐の名の下に直接70人余りの生命を奪ったという。5年間のシベリア(カザフスタン・カラカンダ)抑留後、戦犯として引き渡された中国「撫順戦犯管理所」で人道的待遇を受け「鬼から人間に戻してくれた」と貴重な記録が記してある。

 帰国後は翌日から警察に監視され、結婚後は経済的にも大変な時期もあり転居9回、転職10回を体験された。一時、都会にも出たが後年故郷の三瓶山の麓に戻った。そして、古材を使い二人で2年掛けて素敵な山小屋風の家を造り、米以外は自給自足の生活をされた。地元ではステンドグラス作家としても知られ活躍、お子さんやお孫さんにも恵まれたが、藤原さんを交通事故(享年83歳)で亡くし、その7ヶ月前には最愛の一人娘・梨華さんも病で亡くす辛い体験を夫人はされている。貴重な多くの写真と共に藤原さんの83年の生涯を回想です。

 尚、藤原さんは「回想録」を大学ノートに7冊に纏めていましたが、ある編集者が『出版に向け編集してくれる』との事でその内の6冊を託しました。しかし、その後、彼から連絡がなく問い合わせると『諸事情があり、見つからなくなってしまった』と、キチントした説明もなく現在に至り『深い悲しみと腹立たしさ、そして無念さが残っています』とある。この「回想録」も仕方なく他の資料で纏め「涙無しには読めない」と夫人が記しています。多くの皆様に「戦争とは」を知って欲しいと思います。(この「回想録」は記念館でも扱っています。600円+送料)

編者:「平和のための信州・戦争展

       長野県連絡センター」

発行:川辺書店 発売:2015.8.6

定価:1389円+税

 

 1988年から「北信、東信、中信、南信」の4箇所で開催地を持ち回りで「平和のための信州・戦争展」を開催してきた団体が、94年にその「長野県連絡センター」を設置した。同センターがそれまでの県内在住者700人の証言の中から39人の証言を纏めたものである。大きく「外地での戦争体験」と「内地での戦争体験」の二つに分けえあり貴重な当時の写真もある。

 「外地の体験」では元731部隊員やトラック島の敗残兵、開拓民や残留婦人、シベリア抑留・・・など18人の体験・証言が、「内地の体験」には被爆体験、BC級戦犯、長野空襲、人間機雷・・・など21人の証言がある。聞き取り取材は過去のもので既に鬼籍に入られている方も多く貴重な記録である。

著者:青木茂  発行:2015.7.15      

発行:花伝社 / 発売‐共栄書房

定価:1700円+税


 今年は戦後70年。その「節目の年」を前に私が知りたいと思ったことは、日本の侵略で筆舌に尽くし難い惨禍を受けた中国が戦後70年をどのように迎えようとしているのかということだ。そのため、中国各地の町や村を訪ね、惨劇の現場を確認し、被害者や遺族から話を聞いた。こうして訪ね歩いた現場のうち、撫順と南京とソ満国境の三カ所を取り上げ、夫々の情況を本書で紹介している。

 本書で示した事実を基に中国の現状をまとめると、日本の侵略で受けた惨禍に対する被害者の心の傷は癒えておらず、強烈な怒りと不信感を日本に対し持っていると言えるだろう。しかし、中国が問題視しているのは安倍首相など極右・靖国派の「指導者」であり、日本全体を批判しているのではないということが重要だ。この情況を理解すれば、今、最悪の状態にある日中関係を改善する希望と確信を私たちは持つことができる。(著者)

【むのたけじさん「記念館」で講演】

 2015年6月13日記念館でむのたけじさんの「講演会」が開かれ100歳の年齢感じさせず1時間半余りもお話し下さいました。講演の最後に『死んでも会費を払うから、運動を続けて欲しい』とまで記念館を評価して下さいました。

 今どんな時代か。これからの社会情勢。何に気をつけてどう生きるか。中国関係・朝鮮関係が現状のようなことでは情けない。19から20世紀の歴史を振り返ってみると戦争の頻発である。なぜ戦争がおこるのか。今の戦争は経済の仕組みが行き詰まったとき、それを打開するための戦争が大半である。

 その中心にはアメリカ経済の行き詰まりがあり、失業が7%位になると悲鳴を上げ戦争が起こる。生産は自給自足、注文生産、そして資本主義の博打でもある「見込生産」だが、期待が外れると深刻な事態になるとなどと指摘した話から始まった。

 他に「原発、温暖化、核兵器、第3次世界大戦の危機、集団的自衛権、中国の先行き、訪中体験・・・」など多義に渡り机を叩いて現状に怒っていました。詳細は兒嶋俊郎理事(長岡大学教授)が纏めた下記「PDF」をクリック下さい。          

むのさん「講演要旨」.pdf
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【今年も「7・7集会」開催】

 1937年「盧溝橋」で数発の銃声音から始まった日中全面戦争勃発の『7月7日を忘れまい』と元軍人4団体が毎年『7・7集会』を開催してきた。

 しかし、高齢化のため後継団体などが受け継ぎ開催いている。「日中友好8・15の会、撫順の奇跡を受け継ぐ会、不戦兵士・市民の会、関東日中平和友好会」の4団体共催で、毎年各団体が担当し今年は「日中友好8・15の会」 の担当で会場に中国大使館をお借りして開かれた。

 当日は最初に4団体からの挨拶に続き程永華中国大使から、あの戦争は日本人民も被害者であり歴史の過去を鏡として学ばなくてならないと、ヴァイツゼッカー元独大統領の『過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる』や、中国の『前事不忘 後事之師』の言葉を紹介した。そして、この4団体の創始者の勇気に感謝すると述べた。(挨拶する程永華大使)

 その後、今年担当の「日中友好8・15の会」の沖松代表幹事の講演に移った。沖松氏は1925年生まれの90歳で、陸軍士官学校を出て最後は特攻隊に組み込まれ「怖いというより、寂しかった」という。特攻には特別食が出たが、何を食べても美味しくなくお金も地位も通用せず「平凡に暮らせる幸せ」を感じたという。8月15日に出撃予定だったがその直前に敗戦になり一命を取り留めた。その時は「助かった!死なずに済んだ」との思いであったという。戦後は「何故戦争したの?するの?」を長い間問い続けて来たという。(講演する沖松さん)

 最後に「中帰連」の撫順戦犯管理所での生活や裁判、帰国までを描いた50分ほどの合唱組曲『再生の大地』が「再生の大地合唱団」により披露された。歌の最後は『赦しの花』という曲で、ある戦犯が帰国時に看守から「もう武器を持って大陸に来ないで下さい。そして、日本へ帰ったら幸に暮らして下さい」と手渡された朝顔の種を生涯咲かせていた実話を歌にした曲で、そのハート型の葉の朝顔はいま全国で咲いている。

【記念館「声明」】

 記念館では6月13日に総会を開き安倍政権と現状の国会審議について下記2本の「声明」を全会一致で採択しました。

 この「声明」は安倍首相、衆参両院議長、報道機関、友好団体などに郵送し、また他の団体組織などにもメール添付などで伝えました。下記の「PDF」をご覧下さい。

 ①「『安保関連法案』に関する緊急声明」

安保関連法案に関する「緊急声明」.pdf
PDFファイル 1.4 MB

 ②「戦後70年『安倍談話』に関する声明」

「戦後70年『 安倍談話』に関する声明」.pdf
PDFファイル 2.3 MB

【松村理事長 「山梨平和ミュージアム」で講演】

 平和博物館ネットにも参加している甲府の「山梨平和ミュージアム」が毎月企画している講演会で、4月19日松村理事長が『細菌戦部隊と加害の歴史を考える』と題して講演しました。松村理事長は「家永教科書訴訟」の証人もし、731部隊の研究者としても知られている事はご承知と思います。

 当日は地図や研究データーなどの資料も配付され「マルタ」と呼ばれた中国人が「特移扱い」の隠語で731部隊に送られ、細菌戦など生体実験・解剖にに使われ敗戦時までに3000人余りの全員が殺害されました。また、その責任者の石井四郎はその研究資料と引き替えに米に免責され、その資料の「フェルレポート」や「ヒルレポート」の解説などもありました。

 秘密だった元731部隊の軍医たちは戦後、医学界の中枢で暗躍し内藤良一などは日本ブラッドバンク(ミドリ十字)を設立し乾燥血漿で莫大な利益をあげ、その後、非加熱血液製剤でエイズを発症させた事も知られています。

 また戦後、住井すゑ、永井隆、平塚らいてふ、都築正男、高村光太郎などは反戦・人権派の知識人と評価されるが、戦時中に侵略戦争に加担支持したことを隠し反省していないと指摘し、本当に平和主義を通したのは大塚金之助くらいではと話しました。

 50人余りの参加者は講演後も、当時のことや現状の社会や政治についての質問など皆さん真剣な質疑応答が1時間近く続きました。

【記念館基本情報】

   住所:〒350-1175 埼玉県川越市笠幡 1948-6

 最寄り駅:東武東上線「鶴ヶ島駅」西口(タクシー10分)

       JR川越線「笠幡駅」徒歩25分

 【開館日】「水、土、日」10:30~16:30(なるべく事前にご連絡下さい)

 TEL&FAX:049-236-4711

 E-mail:npo-kinenkan@nifty.com

 HP: http://npo-chuukiren.jimdo.com/

   郵便振込:(00150-6-315918)

 口座名義:「中帰連平和記念館」年会員:5000円 (カンパ歓迎)

 名誉顧問:むのたけじ(フリージャーナリスト)

 理事長:松村髙夫(慶応大学名誉教授)

 地図:https://goo.gl/maps/6svNN7sVCpF2

【NPO・中帰連平和記念館】
【NPO・中帰連平和記念館】
【入り口(ロビー)】
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【閲 覧 室】
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【資 料 室】
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【事 務 室】
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