「NPO・中帰連平和記念館」とは

  「中帰連」とは正式には「中国帰還者連絡会」と言います。中国の撫順と太原の戦犯管理所に収容された約1000人の元日本人戦犯たちです。彼らは帰国翌年の1957年に「日中友好と反戦平和」を願って中帰連を設立しました。しかし、高齢のため2002年に解散しました。  

 敗戦後、約60万人の日本兵が捕虜としてシベリアに抑留され、強制労働を課せられ寒さと飢えで約6万人が犠牲になりましたが。そのシベリア抑留者の中の969人が、5年後の1950年7月に、国境の綏芬河で今度は「戦犯」としてソ連から中国に引き渡され、その収容先が「撫順戦犯管理所」でした。一部「太原戦犯管理所」に収容され140人の戦犯はシベリアではなく、1945年8月15日以降も閻錫山らと八路軍と戦った元兵士です。
 彼らの多くは戦時中に「奪い尽くし、焼き尽くし、殺し尽くし」の所謂「三光作戦」(中国側の表現)処か、強姦、強制連行、生体解剖など一般市民にも多くの加害・虐殺をした主に59師団と39師団の元軍人たちです。しかし、戦犯管理所ではシベリアのような強制労働も強制学習もなく、周恩来は『戦犯とも言えども人間であり、人格と日本人の習慣を守り罵倒や殴打などをしてはならない』と管理所に指示徹底しました。
 当時、貧しかった中国人は1日2食のコウリャン飯しか食べられない情況の中で、彼らは白米を食べ肉野菜など十分に与えられ、彼らの1食は中国人3家族分の食費が費やされ、彼らは当初「最後の晩餐」とさえ思いました。看守たちは不満でしたが指示に従うほかしかたありませんでした。周恩来は「復習や制裁では憎しみの連鎖は切れない。20年後には解る」と所員を諭したのです。

「中帰連」と「撫順戦犯管理所」

 記念館では彼らの自費出版や著作、また証言映像などの資料を収集管理し、平和を愛し求める市民をはじめ学者や学生・院生、NHKなど報道機関やジャーナリ ストなどにも資料を提供し、多くの人にこの「中帰連」と「撫順と太原戦犯管理所」で何があったを知り学び生かして欲しいと思います。

  中帰連に限らず731部隊やアジア各地の日本の侵略戦争の資料も収集しております。既に、NHKの『戦犯たちの告白』(1989年)や、同じく『認罪~中国撫順戦犯管理所の6年』(2008 年度「ギャラクシー大賞」受賞)などにも資料提供しました。年3回の理事会や総会の午後などに定期的な「学習会」や「講演会」も開いています。記念館の見学は無料ですが、資料の利用には「NPO」の会員になって戴ければ有難く思います。皆様の「会費とカンパ」にのみに支えられてお り、ご理解・ご支援宜しくお願い致します。

「千葉中帰連」が建立した『中帰連碑』
「千葉中帰連」が建立した『中帰連碑』

 アジア各地でろくな証拠もなくB、C級戦犯約1000人が処刑されていますが、周恩来は4回も判決文の書き直しを指示し一人の無期も死刑も認めず1956年の特別軍事法廷では約1000人の戦犯うち政府・軍高官の45人だけが起訴され、他は全員「起訴免除」とされ帰国を許されました。起訴された45人もシベリアの5年と管理所の6年の計11年が刑期に参入され刑期満期前に帰国を許されましたのです。

 命を救われた彼らは帰国翌年の57年に「中帰連」を立ち上げ、高齢のため解散した2002年まで自らの加害や虐殺体験などを証言しながら「反戦平和と日中友好」を訴え続けて来ました。

 解散と同時にその意思を受け継いだ『撫順の奇蹟を受け継ぐ会』を設立(事務所:記念館に同じ)し、本部会員の他、全国10支部で活動中です。「記念館」はその翌年に設立し2006年にNPOに認定されました。記念館の目的は中帰連や管理所の「資料収集と散逸を防ぐため」に設置されましたが、広く戦争に関する資料などを収集保管NHKなどにも提供しています。狭いスペースですが将来「展示」なども検討中です。

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◆ 【掲載誌】

法学館憲法研究所HP『今週の一言』.pdf
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『社会評論』2015年春号.pdf
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『人民中国』2015年9月号.pdf
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「利根川文化研究」37号(2013.12).pdf
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『ZOOM JAPAN』2014.5月号.pdf
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