【2015年】

◆【むのたけじさん 名誉顧問に就任】(2015/12)

 むのたけじさんは敗戦の1945年8月15日、『記者として責任をとる』と朝日新聞社を一人退社しました。その後、故郷の秋田県横手市に戻り週刊新聞『たいまつ』30年間発行し、現在、地元図書館がデジタル化を進めています。 

 来年1月2日に満101歳を迎えるむのさんは、今もお元気で現職ジャーナリストとしてご活躍され、昨年は日本ジャーナリスト会議(JCJ)から「特別賞」を受賞しました。  記念館では昨年と今年の6月に講演をお願いしましたが『ここが中日問題を考える埼玉の中心になってほしい」と、また『死んでも会費を払うから運動を続けてほしい』とま評      (記念館で・2015.6)    価下さっていました。 

 この12月に改めて「名誉顧問」就 任へのご相談をしたところ快諾戴き、「来年も何かお役に立てるかも」とまで言って下さいました。むのさんの期待を裏切らないよう此からも仲間と支援の皆様 と頑張ります。此からもむのさんにご活躍戴き記念館へも叱咤激励をお願いしたいと思います。尚、むのさんはご子息の武野大策さん(医師・医学博士)と共に 会員登録もして下さっています。

◆【「安保関連法案」廃案を求める声明】

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◆【戦争遺跡保存全国シンポ・千葉館山集会】参加

毎年開いている『戦争遺跡保存全国シンポジウム』が、今年は千葉県館山市の「千葉県南総文化ホール」で9月4~6日に開かれ350人余りが参加しました。

 全体集会・基調講演の翌日は「保存の現状と課題、調査の方法と整備技術、平和博物館と次世代への継承」と、特別部会として「米占領軍の館山上陸と直接軍政/証言者のつどい」の4つの分科会に別れ全部で28件の発表がありました。第3分科会の『平和博物館と次世代への継承』には7人の発表があり、記念館から参加した芹沢事務局長が「中帰連と記念館」の運動と近況を報告しました。沖縄など遠方からの参加や、現地のボランティアスタッフの活躍に感謝の思いでした。

 尚、来年の「20周年シンポ」は8月20、21日に、第1回シンポが開かれた長野県・松代市で開催することが決まりました。(「写真」は第3分会)

◆【中帰連元副会長 大河原さんを偲ぶ会】(札幌)

札幌市在住の元「中国帰還者連絡会(中帰連)」副会長だった大河原孝一さんが昨年(2014年)10月に亡くなり、「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」北海道支部が年明けの1月24日に、札幌市教教育文化会館の研修室で『大河原孝一さんを偲ぶ会』を開きました。参加者は同支部会員以外に岩手支部や東京支部、中帰連平和記念館などからも来札し24名が参加、「撫順戦犯管理所」

から追悼文も届き、支部が作成した『追悼文集』も配布されました。 

 最初に久能さんの司会で全員で黙祷し大原支部長の挨拶で始まりました。大河原さんと一番長くお付き合いがあった「旭川日中友好協会」会長の鳴海良司さんと、北大大学院准教授の小田博志さんが弔辞を捧げました。その後、小学校の授業で大河原さんが体験を話したビデオが上映され、休憩を鋏み二部は机をロの字型に配置し、皆さんが大河原さんの思い出を話し合いました。

 大河原さんは中帰連分裂後の「再統一」にも大きな努力をされ、私たちの記念館の土地と中古倉庫の

購入にも、全国の「中帰連」の仲間を訪ね歩きカンパを募り記念館購入に大きな尽力を下さいました。お陰で記念館は家賃も要らず、立ち退きを求められる事もありません。

 大河原さんはシベリア抑留時代から勉強され、撫順戦犯管理所に収容されてからも先頭にたち積極的に「認罪教育」を指導されました。元は国鉄の職員で山登りやスキーが趣味で全国の山を登り、絵やスケッチも遺されています。温泉も好きで奥ニセコの「新美温泉」が湯治の定宿でした。

 大河原さん有り難う御座いました!心からご冥福をお祈り申し上げます。

◆【松村理事長 山梨平和ミュージアムで講演】

 平和博物館ネットにも参加している甲府の「山梨平和ミュージアム」が毎月企画している講演会で、4月19日松村理事長が『細菌戦部隊と加害の歴史を考える』と題して講演しました。松村理事長は「家永教科書訴訟」の証人もし、731部隊の研究者としても知られている事はご承知と思います。

 当日は地図や研究データーなどの資料も配付され「マルタ」と呼ばれた中国人が「特移扱い」の隠語で731部隊に送られ、細菌戦など生体実験・解剖にに使われ敗戦時までに3000人余りの全員が殺害されました。また、その責任者の石井四郎はその研究資料と引き替えに米に免責され、その資料の「フェルレポート」や「ヒルレポート」の解説などもありました。

 秘密だった元731部隊の軍医たちは戦後、医学界の中枢で暗躍し内藤良一などは日本ブラッドバンク(ミドリ十字)を設立し乾燥血漿で莫大な利益をあげ、その後、非加熱血液製剤でエイズを発症させた事も知られています。

また戦後、住井すゑ、永井隆、平塚らいてふ、都築正男、高村光太郎などは反戦・人権派の知識人と評価されるが、戦時中に侵略戦争に加担支持したことを隠し反省していないと指摘し、本当に平和主義を通したのは大塚金之助くらいではと話しました。

 50人余りの参加者は講演後も、当時のことや現状の社会や政治についての質問など皆さん真剣な質疑応答が1時間近く続きました。

◆『第8回 国際平和博物館会議』参加

  世界各地で3年に1度開かれている『平和ための博物館・国際会議』が9月19~22日の4日間、韓国・ノグンリで開催され松村髙夫理事長と芹沢昇雄事務局長が参加・発表して来ました。

 ノグンリは韓国のほぼ中央の地方に在り、朝鮮戦争中の1950年7月アメリカ軍が南部へ敗走する中で民間人約300人余りを虐殺した「ノグンリ虐殺事件」の現場(左写真)です。米第

25師団長ウィリアム・B・キーン少将による7月26日の「戦闘地域を移動するすべての民間人を敵とみなし発砲せよ」という命令に基づき行われたが、40年余り隠蔽され米は現在も「偶発的」と主張しています。

  現在、現地にノグンリ平和公園が整備されその公園内に『ノグンリ平和記念館』が建てられ、事件の説明や展示がされ、韓国人も多くの犠牲となった「ヒロシマ」の原爆被害も展示されている。また公園内の一角に『ノグンリ平和教育館』が建てられ今回の国際会議はここで開かれました。

(左「会議資料集」日本語版)

              【全体会議】

 会議には35ヶ国25団体170余名が参加、日本からも60人が参加し、全体会議や分科会で43人の報告・発表がありました。日本からは丸木美術館、wam(女たちの戦争と平和資料館)、立命館大学国際平和ミュージアム、無言館・・・どが発表し、記念館は松村髙夫理事長(慶応大学名誉教授)が英語で、芹沢事務局長が話に合わせた写真をプロジェクターで映写しながら発表しました。

 wamの池田恵理子さんの発表の中で慰安婦について不適切な通訳があり、会場から松村理事長が挙手をし、朝日が誤報を認め謝罪したのは『吉田清治氏の証言の間違いと、慰安婦と挺身隊の混同』の2点のみについて謝罪したのであり、従軍慰安婦(日本軍慰安婦)の存在を否定したものではないことをキチント伝え欲しいと

        【「ノグンリ平和記念館」前の記念撮影】

 参加者には軍隊を廃止したコスタリカからの報告もあり、分科会では日本国内からは16団体の発表がありました。19日の会議冒頭では同行した『悪魔の飽食合唱団』が合唱を披露し喝采を浴びました。他にもパネル展示などもありました。

 私たちは会議前の16日から韓国入りし『済州島4・3事件』や『光州5・18事件』の墓地や記念館にも寄り、会議最終日には国境の「イムジン河」も訪ねました。尚、採択された「平和宣言」と松村理事長の発言要旨はをクリックして下さい。