「判決」(1956年6、7月)

 1956年6月、戦犯を裁く『特別軍事法廷』が撫順で開かれ、1062名の起訴され戦犯たちに死刑も無期もなかった。それは周恩来が「制裁や復讐では憎しみの連鎖は切れない」と「判決文原案」3回も書き直させた結果であった。起訴され有罪とされたのは政府・軍高官の45名だけで、他は全員「起訴免除」とされ罪を赦された。

 彼らは法廷から管理所に戻ることなく、囚人服を脱ぎ用意されたパーティーの席に案内された。起訴された45人もシベリアの5年と管理所の6年の計11年を刑期に参入され刑期満期前に帰国を許された。偽満州国国務院総務長官(文官の最高位)であった武部六蔵(7月20日判決)は入院中のベッドの上で禁固20年の判決を受けた直後、「病につき直ちに釈放」言い渡され彼がベッドで号泣している写真が上の写真です。傍聴席からは刑の軽さに抗議の声があがりましたが、裁判長は「上からの命令である」と受付ず閉廷した。

 帰国に際して私物の一切が返却され、新たらいし服や靴に毛布、現金50元まで支給されお土産を買い6、7、8月の3回に分けて天津から興安丸に乗船し舞鶴に向け出航しました。1964年4月9日を最期に起訴された者含め全員帰国した。

       【特 別 軍 事 法 廷】(1956年)

        「起訴免除」の『判決文』の表紙と裏表紙

       「天津港」から見送られて興安丸で帰国の途に