◆【中帰連・千葉支部の「中帰連之碑」】

 「中帰連」の皆さんは裁判も帰国も3回に分けて行われました。

 その「千葉支部」は1997年7月に56名の名により、この【中帰連之碑(謝罪碑)】を建立しましました。何処へ相談しても碑文の内容を知ると設置を断られ、中帰連の篠塚良雄さん(元731部隊・少年隊員)が檀家総代を務めていたこのお寺が受け入れてくれました。

 碑文

 

 第二次世界大戦の戦犯として中国に抑留された私たち一一九〇名うち千葉県五五名は、中国政府の思いもよらぬ寛大な処遇を受け一人も処刑されることなく、一九五六年以降釈放され全員帰国を許されました

 私達が侵略者として中国で犯した滔天の罪行は、被害者の心情を思えば思うほど深くしてなを重くとても債'えるものではありません

 私達は過去ヘの反省を込め帰国後中国帰還者連絡会をつくり恒久平和を希求し反戦と日中友好に努めて参りました

 帰国40年に当たり 今ある我が身を想い『怨心みに報ゆるに徳を以て為す』偉大なる中国人民に対し限りない感謝と謝罪の誠を捧げ亡き先達の遺族と共に此の地に碑を建立し水遠なる日中友好の誓いとします

 

   一九九七年七月吉日

                                                           中国帰!遍者連絡会千葉県支部

 

 建立趣意書

 

 中帰連は世にも珍しく貴重な存在であります。    

 それは

 第一に第二次世界大戦の戦犯が作った会であること。

 第二にその戦犯とは、中国を侵略し罪業の限りを尽くしたにも拘らず、一人も処刑されることなく釈放され日本に帰国出来たこと。

 第三にこれらの戦犯は中国に拘留中、中国人民の社会主義的人道主義の処遇を受け己の所業と対比して前非を悔い、覚めることが出来たことです。

 私達は自分の殺めた中国人民や、戦争の惨禍で塗炭の苦しみを嘗め尽くした多くの人々悲痛な叫びをしかと身に受け止め、加害者としての反省から中帰連に結集してのである。

 或者は残虐な戦争の語り部となり、或る者は反戦運動の活動家として、戦争犯罪の生き証人となつて後半性を生きて参りまた。                .

 しかし会員の中にはいろいろな事情を抱えていて会の活動に積極的に参加出来ず常にひけめを感じながらそれでもなを中帰連との絆を放すまいと苦心して、何か事あらば結集して来る会員が多く居ることも事実であります。

 私達は積極的であれ消極的であれ、中帰連の会員であることが尊いのであります。

 中国の寛大政策の生き証人として、また侵略戦争犯罪の生き証人として帰国後手を取り合ってあの苦難を乗り越えて生きた事実こそ尊いと言わなければなりません。

 私達は万死に値する戦争犯罪人であります。この万死に値する者を生かして下されたことこそ崇高であり、だからこそ私達は一生懸命に生きなければなりません。それにひきかえ私達が殺めた中国の殉難烈士は再び帰っては参りません、どのように謝罪したらよいのでしょうか、一生かかっても償いきれるものではありません。

 しかし私達は遠からず全員この世を去り中帰連もやがて自然の摂理に従つて消滅するでありましょう。

 私達のような戦争犯罪人を二度と再びこの世に輩出してはならず、中帰連のような戦犯の会は私達だけで沢山です。  

 生きてその罪を償えず、死してもなお償いきれなかつた者が生きていたという事実を、中国人民に対する限り無き謝罪と感謝の誠を石碑に託し何時までもいつまでもこの世に残しておきたいのです。